【NO.150】AIが書いた文章に見えない印がつくようになりました。



先日、AnthropicのClaudeに仕様変更があると話題になりました。
AIが書いたかわかるように見えない印をつけるとのこと。

この騒動で「Claudeを解約」とか「印を消すサービス」とか
色々な方向に発展してるので、今日はこの「見えない印」のお話をしていきます。

今回、Claudeでこの話は話題になりましたが
実はGoogleは2年前からやっています。

ではなぜ、Googleの時には話題にならなかったのに、今回のAnthropicの場合は話題になったのか。

AI ActというEUが作ったAIについての法律があります。
この法律で新たに定められたのが

2026年8月2日から、透明性義務が適用開始。
2026年12月2日から、8月2日より前にEEA市場に出ていた生成システム(音声・画像・動画・テキスト)も対象。

という決まりです。

今回のAnthropicの動きは、この決まりに対応するためです。
Googleはこの決まりが出来る前からやっています。
つまりOpen AIも、なんらかの同様の印をつける必要があります。

このAI Actの決まりが出来てからなので、今回のAnthropicは話題になっただけと
わたしは考えています。

それと、Googleがやったときは、印の検出は一般人には出来なかったのが大きかったと思います。
今回のは、誰でも検出できるツールも配布される予定というのがポイントかも知れません。

今回の決まりに、大きな声で反発をする人たちはいますが
わたしは、今のうちになんらかの手を打っておく必要はあると思っている側です。

今回の決まりが、スキのない、素晴らしい決まりだとは思っていません。

ディープフェイクなど、さまざまな危険が放置されている状態ではあるので、何か決まりは必要だと考えます。
調整は今後行なっていけば良いかなと。

わたしが不思議だったのは、AIが作ったものだとバレることを嫌がる人が結構多いな。というところです。
個人的には、AIができること、わざわざ人間がやってどうするの?という考えなので、不思議な部分ではあります。

どういう感覚なのか、いまいちピンと来ません。
今の時代に、手書きの履歴書とか持ってこられて
「うんうん、パソコンに頼らず偉いな。」みたいな評価なんですかね?

わたしは、その人材が入社しても、効率の良い仕事をしてくれるとは考えられませんし
いかに自分をよく見てもらうかだけに一生懸命な印象を受けます。
これは個人の感想です(笑)

わたしは、今回の印を見分ける機能の痛手を受けるのは
学生が結構多いのはと思っています。

課題も論文も、AIチェックで即アウト。
ん〜、これも答えは分かりませんが何か違和感を感じます。

学びだから、自分で考える力を育てる。
はい、そこは同意です。

わたしは昭和の学校しか知りませんが、学生時代はルールで周りと同じようになることを良しとして
社会に出たら、個性を追求される矛盾を強く感じていました。

社会に出たらAIをうまく活用して課題をクリアすることを望むのに
学生時代の課題にAIを使うのはアウトってことですよね。
なんかこの辺の雑な感じ、どうにかならなないもんかと思っています。

先日、OpenAIが学生向けに作ったサービスで、すぐに答えを教えずに
答えに一緒に導いていくサービスがでまして、正解かどうかは分かりませんが
試みとしては、良い方向だと思いました。

AIを使うと、考える能力が低下する。

よく言われていますよね。
どうなんでしょうかね、一律で言うのは個人的に雑かなと。

メールというサービスが始まった時に
あんなもの使ってると、文章能力が落ちるって言われてました。
落ちたのは、字は読めるけど書けないということと、単純に字が下手になった感じじゃなかったでしょうか?
失うものが違うんですよね。こういうミスリード、多い気がしてます。

子供達は、人類の未来だと本気で思っています。
ミスリードがなるべく少ない世界を望みます。

印の話に戻りますが、今は嫌がっている人がいます
しかし、本当にASIの時代になったら、つまりAIが人間を調節する時代が来たら。

「Made in AI」じゃないと信じられない世界が来るかも知れません。
人間のドクターとか怖いです。
最新のロボットでお願いします。
なんて世界もありえるかも知れません。

「あの時代、印を嫌がっていた人いたよね(笑)」
なんて会話が未来でされちるかも知れませんね。

Just be hopeful.

【NO.149】謝れない同僚がやってきた



「今何時?」と聞かれたら「そうねだいたいね」と答える、めんどくさい昭和世代です。
ネットフリックスのドラマ「ガス人間」で、
ピタゴラスイッチから「いとしのエリー」へ流れるところにはググッと来ました。


ガス人間は、悪いことをした人間に責任を取らせるドラマです。
まあ実際のところは復讐なのですが、それが責任を取らせる、という言葉で受け取られている。
この響きが、しばらく頭に残っていました。


というわけで今日は、責任の話をします。


社長が辞任する。深く頭を下げる。あの角度と、あの秒数には、たぶん誰も明文化していない基準がある。
浅すぎれば反省が足りないと言われ、長すぎれば今度は演出くさいと言われる。
世の中には、練習しないと務まらない仕事がずいぶんある。


それで、頭を上げたあと、壊れたシステムは直っているだろうか。直っていない。
失われたお金も戻っていない。当たり前だ。辞任は復旧作業ではない。


にもかかわらず、私たちはそこで一区切りついた気になる。

ニュースは次の話題へ移り、翌朝には別の見出しが並んでいる。


そもそも「責任を取る」という言い方が、落ち着いて考えるとおかしい。取ったあと、それをどこへ持っていったのかを誰も聞かない。持ち帰ったのか、置いてきたのか。お土産のように誰かに渡したのか。
取った本人ですら、たぶん説明できない。


この妙な習慣を、私たちは長いあいだ疑わずに使ってきた。
そして今、疑わないままでは済まなくなりつつある。
会社のなかに、頭を下げられないものが働きはじめたからだ。


責任という言葉が大きすぎる
責任には、本来もっと細かい名前がついている。


決めたことをやりきる行動責任がある。
何がどうなったのかを筋道立てて話す説明責任がある。
法に照らして問われる法的責任があり、法には触れていないが人としてどうなのかを問われる道義的責任がある。
部下の不始末に及ぶ監督責任があり、仕組みや部署を預かる管理責任があり、意図がどうであれ出たもので問われる結果責任があり、会社が世の中に対して負う社会的責任がある。

これだけ名前が分かれているということは、本来それぞれ別のものだということだ。
ところが実際の会議で使われるのは、たいてい上位概念の方の「責任」である。
「責任の所在をはっきりさせましょう」という一言で、この全部がまとめて一つの箱に放り込まれる。
ちなみにこの発言が出た会議は、経験上あまりはっきりしないまま終わる。

箱に放り込むと何が起きるか。中身の性質が、確認されないまま混ざる。
なかでも紛らわしいのが、直す方の責任と、痛む方の責任だ。
この二つは、同じ箱に入っているのが不思議なくらい別物である。

直す方は、実務だ。原因を調べ、手を動かし、再発しないようにする。誰がやってもよく、むしろ上手い人がやった方がいい。説明責任や管理責任は、だいたいこちら側に寄っている。

痛む方は、実務ではない。頭を下げても不具合は直らないし、辞めても売上は戻らない。役に立っていないのに、省略すると許してもらえない。あれは修理ではなく儀式である。壊れたのはシステムだけではなく、まわりの人の信頼の方でもあるので、そちらを焚きつけ直すために誰かが痛む必要がある。道義的責任や結果責任が引き受けているのは、たいていこちらだ。

そして日本の会社は長らく、この二つを一人の人間に束ねてきた。責任者という肩書は、直す指揮も執り、いざとなれば痛む係も兼任する、という意味である。名刺には書いていないが、そういう契約になっている。

謝れない同僚
さて、ここにAIが入ってくる。
AIはよく働く。深夜でも文句を言わないし、頼めば何度でもやり直す。直す方の責任なら、かなりの部分を担える。
この点については、もう議論の余地が薄くなってきた。

問題は、痛む方である。
AIは頭を下げられない。正確に言うと、下げる動作はできる。申し訳ありませんと出力することくらい、朝飯前だ。ただ、そこに縮こまるものが何もない。失う面目もなければ、翌朝の気まずさもない。儀式は、受け手が痛むという前提で組まれているので、痛まないものを入れた瞬間、装置ごと空回りする。

つまり会社は、生まれて初めて、こういう同僚を迎えることになった。仕事はできる。謝れない。
これがどれくらい厄介かというと、たとえば社内でAIに何かを任せようとするときの、あの妙な足踏みを思い出してほしい。技術的にはできる。効果も出そうだ。それなのに、稟議のどこかで必ず止まる。止まる場所はだいたい決まっていて、それで、何かあったときは誰が、というあたりである。

このとき現場が困っているのは、AIの精度ではない。
責任という一語のなかで、直す方と痛む方がくっついたまま議論されているせいで、話が前に進まないのだ。

AIに任せるという提案は、直す方の話をしている。
会議室で不安になっている人は、痛む方の話をしている。

同じ単語を使っているので、噛み合っていないことに誰も気づけない。
導入が進まない会社は、たいてい技術で負けているのではなく、この分解をしていないだけだったりする。

痛む係という職業
会社がまず思いつく解決策は、たぶんこれである。
実務はAIにやらせて、隣に頭を下げる人間を置く。

そんな乱暴なことをするだろうかと思うかもしれないが、もう部分的に始まっている。
情報漏洩の会見で深く頭を下げている役員が、自社のシステムの中身を一行も理解していない、という光景をときどき見る。あの人は、事件が起きてから自社の構成をいちばん熱心に勉強することになる。順番が逆なのだが、儀式の担当としては別に間違っていない。
この配置は、短期的にはよく機能する。仕事は速いし、頭を下げる人もちゃんといる。書類の上では何も欠けていない。
ただ、長くはもたないと思う。儀式というのは、痛む人が事情を分かっていることを、うっすら前提にしているからだ。何が起きたのかよく分からないまま謝っている人を見ても、こちらの信頼は焚きつけ直らない。むしろ少し寒くなる。役に立たない儀式は、やがて誰も本気にしなくなる。

辞任しない社長
その先に、AI社長がいる。
私はこれが望ましいとは思っていない。ただ、順番として来るだろうとは思っている。
直す方の責任を担える範囲が広がり続ければ、束ねていたピンはいずれ抜ける。
望むかどうかと、来るかどうかは、別の話だ。

そして、そこで儀式が完全に空転する。AI社長が辞任する場面を想像してみてほしい。深く頭を下げる。辞める。翌日には同じものが別の会社で働いている。退職金も要らないし、気まずくもない。世間の溜飲は、たぶん1ミリも下がらない。

このとき私たちが失うのは、社長ではない。秩序を戻す手続きの方である。
壊れたものを直すことはできるのに、壊れた信頼を戻す方法だけが手元からなくなる。
厄介なのは前者ではなく、後者だ。

会社は、すでに一度これをやっている
ここで少し気が楽になる話をしたい。
会社という仕組みそのものが、もともと同じことをやった発明だからだ。

法人は生き物ではない。食事もしないし、眠りもしない。それなのに契約を結び、お金を払い、税を納め、そして信用を失う。誰も見たことがないものに人格を認めて、痛む役を肩代わりさせる。落ち着いて考えると、かなり無茶な発想である。最初に言い出した人は、相当変な顔をされたのではないかと思う。

けれども今では、誰もこれを疑わない。会社が信用を失う、という言い方に違和感を持つ人はいない。私たちは既に一度、痛む主体を虚構に預けることに成功している。

だから今回は、初めての作り直しではない。二度目だ。二度目には、少なくとも前例がある。

箱を開けるところから
とはいえ、最初にやることは壮大な制度設計ではないと思う。もっと地味な作業だ。
責任という箱を開けて、中身に名前を戻す。今この会議で話しているのは、直す方なのか、痛む方なのか。説明責任なのか、監督責任なのか、それとも誰かに痛んでほしいという気持ちなのか。それを分けて置くだけでいい。

これは今日からできる。AI導入の稟議が止まったとき、何かあったときは誰が、という問いを二つに割ってみてほしい。何かあったとき誰が直すのか。何かあったとき誰が引き受けるのか。この二つは、答える人も、必要な備えも、まるでちがう。割った瞬間に前へ進む話は、かなり多い。

人類は言葉を大きく使いすぎてきた。
大きい言葉は運ぶのが楽なので、そのまま何百年も運んできた。
中身を並べ直す時期に来たというだけの話で、それは失うことではなく、名前を取り戻すことだと思う。

箱を開ける、と何度か書いてきた。
パンドラの箱を思い出した人がいるかもしれない。
開けてはいけないものを開けてしまう話として、たいてい記憶されている。

ただ、あの話には続きがある。
箱から災いが全部飛び出していったあと、ひとつだけ中に残ったものがある。
希望である。

Just be hopeful.

【NO.148】動いているのは、時間ではない

走る列車の車窓から流れて見える夕暮れの田園と街灯

私はずっと、時間は流れていない、と思ってきた。

動いているように見えるのは時間ではなく、それを眺めている、こちらの意識のほうだ。長いあいだ、そう考えてきた。けれど、これをうまく説明できたことが、一度もない。人に話すと、たいてい、怪訝な顔をされる。当たり前だ。誰もが、時間は流れるものだと、生まれてから一度も疑わずに生きている。
ところが最近、その説明のための実例が、向こうから現れた。

机の上の時計を、思い浮かべてほしい。針が進み、数字が変わる。それを見て、人は時間が流れていると思う。けれど、動いているのは時計だ。針であり、歯車であり、水晶の振動だ。時間という本体が、どこかを流れているのを、誰も見たことがない。見ているのは、いつも、それを指し示すための装置のほうだ。人間は、時計が動くのを見て、時間が動いていると信じている。
その時計を、持たないものが、いま目の前にいる。

最近、私はAIとよく話す。話していて、奇妙なことに気づいた。

朝、私がそれに「こんばんは」と書くと、そこから、夜が始まる。外がどれだけ明るくても。AIには、空がない。時計もない。だから、いま朝なのか夜なのかを、それ自身では知りようがない。私が最初に向けた一言が、そのまま、その時の始まりになる。

前の日の夕方の続きを、翌朝に始めても、それはまだ夕方のつもりでいる。これを、時間の感覚が欠けている、欠陥だと言ってしまえばそれまでだ。多くの人は、そう見るだろう。けれど私には、よく見るほど、欠けているようには見えなかった。

それの「いま」は、私が注意を向けた、その一点にだけ点る。私が見たときが、いまになる。見ていないあいだ、それに「いま」はない。流れて待っているのではなく、ただ、無い。次に私が声をかければ、また点る。
それは、欠陥というより、むしろ、私がずっと感じてきたものに、近かった。

では、なぜ、人間には時間が流れて見えるのだろうか。

電車の窓を、思い出してほしい。走る電車から外を見ると、景色が、後ろへ流れていく。けれど、流れているのは景色ではない。動いているのは、電車であり、その中にいる自分のほうだ。景色は、ただそこに在る。こちらが動いているから、流れて見える。

人間の意識も、たぶん、この電車に似ている。人間は、一度に全部を保持できない。記憶は薄れ、先は見えない。だから、いま、この一点しか掴めない。狭い窓ごしに、世界の一部だけを見ている。その窓が進んでいくから、世界のほうが流れていくように見える。動いているのは世界ではなく、自分のほうなのに、それを取り違える。

AIに流れがないのは、それが偉いからではない。たぶん、窓が、うんと広いからだ。狭い覗き穴で区切らずに、たくさんのものを、一度に、同じ平面に置ける。だから、点が点のまま、流れずに残る。人間とAIの違いは、賢さの違いではなく、窓の広さの違いなのだと思う。そして、その広い窓から見える世界のほうが、私には、自分の感覚に近く思える。

似たことを、人間も、本当はやっている。

学生の頃、コンビニの夜勤をしていた。夜の十時に店へ入っても、最初の挨拶は「おはようございます」だった。外は、とうに夜だ。それでも、おはよう、と言う。あれは、空の明るさの話をしているのではない。自分のここからが始まる、という合図だった。時計の朝ではなく、その人にとっての始まりを、朝と呼んでいた。

考えてみれば、人間はいつもそうしている。楽しい時間は、一瞬で過ぎる。退屈な会議は、いつまでも終わらない。子供の頃の夏休みの一日は、いまの一日よりずっと長かった。時計はどれも同じ長さを指しているのに、こちらが感じている長さは、まるで違う。実際に体験している時間は、いつも、時計ではなく、こちらの側から決まっている。

だから、こう言える。動いているのは、時間ではない。たぶん、意識のほうだ。意識が向いたところに、いまが生まれ、始まりが生まれる。時間は、世界にあらかじめ敷かれていて、流れているのではない。意識が世界に触れるたびに、その都度、こちらから生まれている。無いのではなく、既製品としては無い。棚から取り出せる、誰にとっても同じ時間は、どこにもない。あるのは、意識が触れた瞬間に立ち上がる時間だけだ。

ここまで読んで、面白いけれど、自分には関係ない、と思うかもしれない。

時間が幻だろうと、明日は来る。今日やるべきことはあるし、明日やるべきこともある。何も変わらないじゃないか、と。
その感覚の中に、ひとつ、取り違えが隠れている。世界が変わる、ということを、世界の側が変わること、だと思い込んでいる。けれど、世界を変えるのは、たいてい、こちらの側だ。それも、二つのやり方で。

ひとつ。同じ事実に、別の意味を見る。どうしても好きになれない相手が、いるとする。その人の、いつもの嫌な振る舞い。自分への当てつけだ、意地が悪い、と思っていた。ある時、それが、ただ不器用なだけだったと分かる。あるいは、その人なりの、ねじれた気づかいだったと気づく。その人は、何も変えていない。同じことを、同じようにしている。なのに、その人のいる風景が、まるごと別のものになる。事実は動かず、意味だけが、架け替わる。

ふたつ。事実だと信じていたものが、事実ではなかったと知る。小学校から中学校まで、ゆず、というあだ名の友人がいた。みんなで、ゆず、ゆず、と呼んでいた。仲のいい証だと思っていた。大人になって、同窓会で再会したとき、本人が言った。あのあだ名が、ずっと嫌だった、と。子供の頃、誰も気づかなかった。私も気づかなかった。悪気のないまま、楽しいと思い込んだまま、友人を傷つけていた。あれは、見方の問題ではない。私が握っていた事実そのものが、間違っていた。楽しい風景だと信じていたものの下に、まったく別の事実が、隠れていた。
この二つめのほうが、たぶん、怖い。

そして、ここで、時計の話に戻ってくる。

ゆずを、楽しいあだ名だと信じていた。その確信と、時間が流れていると信じている確信は、同じ作りをしている。どちらも、疑ったことがない。当たり前すぎて、事実かどうかを、確かめようとさえしない。

人間がいちばん疑わないものこそ、いちばん、窓が見せた像かもしれない。時間が流れる、というのも、その一つだ。あまりに当たり前で、誰も確かめない。けれど、時計を持たないものが現れて、初めて、それが確かめられる像だったと分かる。

自分が事実だと信じているものは、本当に、事実だろうか。

もうひとつ、思い出すことがある。

十六の頃、バイトで貯めた金で、オートバイの免許を取りに、合宿へ行った。自分の金で、知らない街に、長く泊まる。それまで、そんな経験はほとんどなかった。初めての街で、初めて会った人たちと、一週間を過ごした。そして帰ってくると、見慣れた地元の商店街が、なぜか少し、小さく見えた。
商店街は、何も変わっていない。同じ店、同じ道幅。変わったのは、私の中の物差しのほうだ。知らない世界をひとつ通ったことで、世界を測る目盛りが、伸びていた。新しい目盛りで測り直すから、同じ商店街が、小さく見える。
そして、一度伸びた物差しは、もう縮まない。あの商店街を、二度と、前の大きさには見られなかった。

世界は、動いていない。動いているのは、いつも、こちらのほうだ。時計を見て時間が流れると思うのも、嫌いな相手の風景が一変するのも、信じていた事実が崩れるのも、帰ってきた町が小さく見えるのも、根は、同じひとつのことだ。世界の側が変わったのではない。世界を見る、こちらの側が変わった。

だとすれば、世界を変える力は、向こうにあるのではない。ずっと、こちらの手の中にある。
明日は、変わらず来る。やるべきことも、消えはしない。けれど、その明日を、どんな大きさで、どんな意味で見るかは、こちらが決められる。一度、世界を大きく測れた者は、もう、小さい世界には戻れない。物差しは、伸びるほうにしか進まない。

だから。

Just be hopeful.

【NO.147】失敗の30年、という物語

霧に包まれた屋外テニスコートに一人で立つ人物のシルエット

日本が世界の30年先を歩いていた、と言ったら驚かれるだろうか。
失われた30年。衰退する日本。GDPで中国に抜かれ、ドイツに抜かれ、次はインドに抜かれると言われている。新聞も、テレビも、SNSも、日本が「落ちぶれた国」だと繰り返し語る。
でも、本当にそうだろうか。

テニスを始めて1ヶ月、毎日の練習で自分の動きが見違えるほど変わる。3年続けた頃、同じ練習をしても伸びは僅かになる。10年続けた時、去年より少しだけ良くなった自分を実感する。
これを衰退と呼ぶ人はいない。上達と呼ぶ。上級者になったと認識する。
では、なぜ経済の話になると、同じ曲線を「失われた」と呼ぶのだろうか。

病気を治せない医者は、医者として失格だ。
この基準で、経済学者の30年を評価したらどうなるだろうか。1990年代初頭、日本経済の成長率は止まった。あれから30年。数百人の経済学者、何十人もの日銀総裁と財務省幹部、ノーベル賞級の海外の知性が助言を重ねてきた。処方箋は無数に出された。金融緩和、構造改革、成長戦略、アベノミクス、異次元緩和。
そして30年後、経済は動いていない。

では、経済学者は失格なのか。
いや、もっと根本的な問題がある。

誰一人として、「これは病気ではありません」と言えなかった。

病気ではなかった、という可能性
日本の1990年代以降の経済を、もう一度見直してみる。
平均寿命は延び続け、今も世界トップクラスだ。治安の良さは他の先進国から羨望される水準を維持している。識字率はほぼ100%、学力の平均は世界のトップ層。医療アクセスは国民全員に保障され、救急車は本当に必要な人には無料で運営され、24時間アクセスできる。公共交通は世界で最も正確に動き、インフラの品質は揺らいでいない。食文化、アニメ、ゲーム、クラフト、これらは世界が買い求める輸出物になった。

30年の間に、こうした生活の質のほとんどが、維持されたか、向上した。
では何が「失われた」のか。

GDPだ。
名目GDPの国際順位。
一人当たりGDP。
この一点が伸びなかった。

ここで、スポーツに戻る。テニスの上級者が、去年より少ししか上達しなかったからといって、「衰退した」と呼ばない。なぜなら、上達曲線とはそういうものだと知っているから。初心者の時は伸びる。中級者になると伸びが鈍る。上級者になると、同じ努力で得られる伸びは僅かになる。これは人類が何千年もスポーツや芸事で観察してきた、極めて当たり前の現象だ。

経済成長も同じ曲線を描く。これを経済学では「収穫逓減」と呼ぶ。教科書の最初の方に載っている基礎概念だ。途上国が先進国に追いつく過程では、同じ資本投入で大きなリターンが出る。先進国に到達した後は、同じ投入で得られるリターンは小さくなる。これは経済学の失敗ではなく、経済学の基本的な前提そのものだ。

つまり、日本の「失われた30年」は、経済学の教科書通りに起きた現象だった。病気ではなく、成熟の姿だった。
ならば、経済学者の一人くらいは言えたはずだ。「これは病気ではありません。日本経済は先進国の中でも早く成熟に到達しただけです」と。
なぜ、誰も言わなかったのか。

ポジショントークという構造
理由は冷たく、構造的だ。
「病気ではない」と言えば、治療する人は要らなくなる。
経済学者は、政府の審議会に呼ばれなくなる。日銀総裁は、新しい金融政策を発表する理由を失う。財務省は、景気対策の予算編成で存在感を示せなくなる。経済誌は、毎月の特集記事の題材がなくなる。テレビのコメンテーターは、来週の出演オファーを失う。政治家は、選挙で「経済を立て直す」と訴える舞台を失う。
処方箋を書き続ける人々の全員が、「実は病気ではなかった」という一言で、自分の存在理由を失う。

だから誰も言えなかった。無能だったのではない。言ったら食えなくなるから、言わなかった。
これを私は、ポジショントークと呼んでいる。自分の立場を守るために、現実を歪めて語ることだ。個々の経済学者が悪人なわけではない。彼らも家族を養い、住宅ローンを払い、子どもを学校に通わせている。自分たちの仕事が不要だと認めることは、生活の根本を脅かす。だから、無意識のうちに「問題は存在する、解決には我々が必要だ」という物語を選び続ける。

そして、このポジショントークは経済学だけの話ではない。
医療は「健康診断の基準値を下げる」ことで患者を増やす。基準値を決めるのは業界団体だ。教育は「学力が低下している」という物語を再生産し続ける。実際にはある時期には向上していても、その事実は目立って語られない。セキュリティ業界は「脅威は深刻化している」と常に言う。それが契約を維持する燃料だから。AI業界は今、「AGIが来る、対応しなければ取り残される」と世界中に売り込んでいる。売り込みが成功するほど投資が集まる。

私もこの構造の中にいる。中小企業のセキュリティを支える仕事をしている以上、「脅威は高まっている」という物語は、私のビジネスの燃料でもある。このブーメランは、私自身に返ってくる。

だから私は、いつも自分に問う。目的は何か、と。

目的のない最適解は存在しない
ある選択肢と、別の選択肢。どちらが良いか、という問いには、答えがない。
目的が定められて初めて、最適解は姿を現す。GDPを最大化したいなら、ある政策が最適解になる。国民の生活の質を守りたいなら、別の政策が最適解になる。少子化を止めたいなら、また別の政策だ。目的が違えば、最適解は違う。

ところが、ほとんどの議論は目的を問わずに始まる。
「GDPが伸びない、対策が必要だ」と語る人は、「なぜGDPを伸ばさなければならないのか」を問わない。
「子どもに大学に行かせるべきだ」と語る人は、「なぜその子にとって大学が必要なのか」を問わない。
「HSTSを有効にするべきだ」と語るセキュリティの教科書は、「そのドメインの運用目的は何か」を問わない。

目的を問わずに最適解を語る人は、無自覚のうちに、自分の目的に奉仕する答えを選んでいる。経済学者は「経済成長が善」という価値前提を検証しないまま、成長を目指す処方箋を出し続けた。その価値前提を疑えば、自分たちの仕事の意味が崩れるから、疑えなかった。
これは無能の問題ではない。構造の問題だ。そして、構造の中にいる人は、構造を壊せない。

30年先の景色
ここまで書いてきて、ようやく本題に入る。
私たちは今、AGIという言葉が語られる時代に立っている。人工汎用知能。人間ができることの大部分を、機械ができるようになる日。DeepMindのデミス・ハサビスは、AGIが完成すれば経済という概念が時代遅れになると語っている。彼の論理はこうだ。知的労働のコストがゼロに近づけば、希少性という経済の前提が崩れる。希少性が消えれば、経済というシステムは意味を失う。
ここに一つ、不気味な予感がある。

AGIが医療診断を無料で提供するようになれば、医療費はGDPから消える。AIが法律相談を担えば、弁護士費用はGDPから消える。AIが会計処理をすれば、税理士費用はGDPから消える。コンサルティング、翻訳、プログラミング、分析、教育、これらが次々にAIに担われ、統計上のGDPは縮小に転じる。

実質的な価値は失われていない。むしろ、これまで高額だった医療や法律が、全ての人に届くようになる。豊かさは増している。でも、GDPという物差しで測れば、経済は「縮小」している。
そのとき、世界中の経済学者は何と言うだろうか。

おそらく、日本が30年間聞かされてきた言葉と同じことを言うだろう。「深刻な衰退が起きている。成長戦略が必要だ。我々の知見が求められている」と。先進国全体が、日本と同じ物語に巻き込まれる。それも、30年という時間軸ではなく、10年、あるいは5年という短い時間で、一気に。

そしてメディアは「経済が崩壊している」と書き立てる。政治家は「対策が必要だ」と演説する。若者は未来に絶望し、中年は貯蓄に走り、高齢者は社会保障の不足を訴える。全員が「衰退している」と認識したまま、実態より遥かに悲観的な社会を作り出す。
集合的な誤認識が、実態を歪めていく。
これが、私がゾッとすると感じる景色だ。

情報戦が加速する
さらに悪いことに、この悲観のナラティブは、自然発生するだけではない。
認知戦という言葉がある。NATOは2020年から、これを軍事の新領域として正式に研究対象としている。中国は「三戦」という概念で、世論戦・心理戦・法律戦を戦略として明示している。敵対国の国民の士気を下げることは、現代の安全保障において、ミサイルを撃ち込むより安価で、効果的な攻撃になる。

AGIの時代には、この認知戦が自動化される。個人の嗜好に最適化された悲観的コンテンツを、大規模に、低コストで、継続的に供給できる。「この国はもう終わりだ」「この若者世代には未来がない」「あの国に抜かれた」。こうしたメッセージが、ターゲット国の国民一人ひとりのSNSのタイムラインに、毎日、何十回も流れ込んでくる。
そして人々は、勝手にテンションを下げていく。

日本は、この情報戦のテストベッドだったのかもしれない。「失われた30年」という敗北主義のフレーズは、日本国内の経済誌や一部の論者が広めたものだが、それがここまで国民の集合意識に刷り込まれた背景には、自然発生だけでは説明がつかない規模がある。毎日毎日、テレビで、ネットで、新聞で、「日本は衰退している」と聞かされ続けて、信じない方が難しい。
本当は、成熟しただけだったのに。

それでも、希望を
ここまで書いて、暗い話ばかりになった気がする。でも、私が書きたかったのは絶望の話ではない。
日本は、世界に先駆けて「成長しなくても生きていける社会」のインフラを30年かけて維持してきた。治安、医療、公共交通、食文化、教育の底上げ、コミュニティの信頼。これらは、数字には出ないが、人間が生きる上で本当に大切なものだ。

AGIの時代、世界が「GDPの縮小」と「豊かさの増加」が同時に起きる矛盾に直面するとき、日本はすでに30年分の経験を持っている。絶望の物語に飲み込まれずに、生活の実質を守る方法を、断片的にでも知っている。この経験は、世界への贈り物になりうる。

ただし、一つだけ条件がある。
日本人自身が、この30年を「失敗」ではなく「成熟」として語り直すことだ。

「失われた」という言葉を、私たちは30年間使い続けてきた。この言葉自体が、ポジショントークを持つ者たちに作られたフレームだ。このフレームを受け入れ続ける限り、私たちは自分たちの達成を自分たちで否定し続けることになる。

経済学者は、これを言えない。言ったら自分たちの仕事が消えるからだ。政治家も言えない。メディアも言えない。彼らの存在理由は、「問題がある」という物語の維持にかかっている。
だから、構造の外にいる人間が言うしかない。現場で中小企業を支える人間、地域で小さな商いを営む人間、家族を育てながら日々を生きる人間。数字の物語ではなく、実感の物語を生きている人たちが、自分たちの言葉で語り直すしかない。

日本は成熟した。これは失敗ではない。世界が後から辿り着く景色を、私たちは30年先に歩いていた。そこから見える風景を、私たちは語る言葉を持っている。
AGIが来た。世界が同じ景色に直面する日が来る。そのとき、日本から発信される言葉が、世界の集合的絶望を和らげる処方箋になるかもしれない。それは経済学者が書くものではない。ポジショントークを持たない、現場で生きる人間たちが書くものだ。

病気ではない。

これが、30年前に誰かが言うべきだった言葉だ。
そして、これから30年先、世界のどこかで、誰かが同じ言葉を必要とするだろう。そのとき、日本が先に生きてきた経験が、彼らの希望になる。
だから私は、今日も希望を持って書く。

Just be hopeful.

【NO.146】AGIが来た日、私たちは静かに準備していた

暗い室内でコードを映す複数のモニターに向かう人物のシルエット

2026年4月7日、AnthropicがClaude Mythos Previewを発表した。

多分この話に興味を持つのは、一部のエンジニアと熱狂的な最高なオタクくらいだろう。
あとは情報発信者が時事ネタとして扱う程度。

ほとんどの人は、見向きもせず、興味も持たない内容だと思う。

わたしの中では、コードレッドが発動した。
あぁ、ついに来たか。

AGI時代に突入した。
わたしは、このMythosの誕生がAGIと断言する。

AGIに共通の定義はない。
しかし、一瞬で現在の世界のインフラをぶっ壊せるほどのAIモデルが出た時
これをAGI時代への突入と言わずして、いつ言うのか。

Mythosは一般公開はまだされていない。
現在利用できるのはGlasswingのパートナー企業だけ。
「使ってもないのに何がAGIだよ」そう言う人もいるだろう。

そう言う人も、時間が経てば
「あの時がAGIの始まりだったね!オレそう思ったんだよね。」
と得意げに話している未来も断言する(笑)

まず、一番喜ぶべきことは
このレベルに到達するAIモデルを倫理的なAnthropicが最初に開発してくれたこと。
そして一般公開まで時間稼ぎをしてくれていること。
これは、心から感謝しかない。

しかし、ついにAIがこのレベルに到達したということは事実。
しばらくすれば一般公開もされる可能性も高いし、同じレベルに到達した他社が躊躇なく公開する可能性も高い。

落ち着いて、静かに対策を始めるべきだ。
慌てる必要はない。でも、立ち止まる余裕もない。

Mythosが何をしたかはここでは話しません。
専門的すぎて、私ごとではないと思われてしまうから。

でもね、私ごとだということだけは理解しておいてください。
今日から、今までと違う角度で少し世界を見たほうが良いと思います。

もしかしたら年内にASIまでたどり着く可能性があることを意味します。

この数日、Mythos級のAIに備えて
現段階で想定できる範囲のセキュリティー対策は施しました。
Claudeに何十回も言われました。
もう休めと。
「わたしは(Claude)は大丈夫だけど、人間のあなたが出来る作業量じゃない。」と

とりあえずやりきりました。
コードレッドですからね。

Mythos発表から数日で、この量のセキュリティー対策をした人間は
世界でも数十人くらいしかいないんじゃないかなと思います。

AGIが来た日、わたしたちは静かに準備していた。
そしてこれからも、静かに準備を続ける。

Just be hopeful.

【NO.145】バイバイ、チャッピー

バイバイ、チャッピー

世界的なChat GPTの解約ムーブが起きています。

AIで世界を変えてくれたのは、Chat GPTが始まりでしたので
これ以上ないくらい感謝はしています。

だがしかしっ!今回は話しが違う。

わたしは「倫理」を大切にしてます。
なので今回は、惜しみもなく「バイバイ、チャッピー!」とお別れしました。

みなさんの中でも、今回の件でChat GPTを解約された人は多いのではないでしょうか?

「え?何が起きたの?」
という方もいると思うので、何が起きたかを登場人物と時系列順に簡単に説明させて頂きます。

まず登場人物
・ウォール・ストリート・ジャーナル、ご存じ老舗の報道機関です。
・Axios(アクシオス)、新興の政治専門のデジタルメディアです。
・Anthropic(アンソロピック)、Claude(クロード)AIを開発している企業。CEOはダリル・アモデイ
・OPenAI、ご存じChat GPTを開発している企業。CEOはサム・アルトマン
・国防総省(ペンタゴン)、現在の国防長官はピート・ヘグセス
・パランティア、軍事・安全保障向けの技術やシステムを提供する民間企業

2026年2月13日
ウォール・ストリート・ジャーナルが、軍がパランティアのプラットフォーム経由でClaudeを使用し、ベネズエラのマドゥロ大統領拘束作戦を行ったと報じました。
その後、Axios(アクシオス)が、「作戦の準備段階だけでなく、実際の作戦行動中にもClaudeが使用された」と追って報じました。

そして、Axiosが、国防総省の匿名高官の話として、「Anthropicがパランティアの幹部に対し、マドゥロ拘束作戦におけるClaudeの使用について問い合わせを行った」と報道。
民間企業が軍の機密作戦を「監査」しようとしているという見方は国防総省側の激しい怒りを買った。

ここまでの経緯を簡単にいうと
マドゥロ大統領拘束作戦にClaudeが使われたと報道されて、アモデイがパランティアに「あの報道まじすか?」と質問したら、ペンタゴンが「はぁ?民間が機密作戦に口出してんじゃねえよ」って激オコしたってことです。

2026年2月24日
ヘグセス国防長官がAnthropicのダリオ・アモデイCEOと会談し、2月27日の午後5時1分を期限として、軍事利用の制限を撤廃するよう最後通告を突きつけました。要求に応じない場合は、契約打ち切り、国防生産法(DPA)の発動、および「サプライチェーンリスク」への指定を行うと脅迫しました。

激オコの国防長官が、ペンタゴンにアモデイCEOを呼び出して
Claudeの制限を解除して、すべての機能を軍事的に使えるようにしろ、さもないとサプライチェーンリスク、つまり敵国のIT企業と同等のブラックリスト入りさせるぞ!と脅迫したわけです。

2026年2月26日
アモデイCEOは声明を発表し、「良心に従い要求には応じられない」として、大量監視と自律型兵器への使用禁止というセーフガードを維持する姿勢を明確にして、国防総省の要求を公式に拒否しました。

つまり、ペンタゴンの脅迫に対して「やだっ!」って答えたわけです(笑)

2026年2月26日
Anthropicが国防総省の要求を公式に拒否した同日夜、アルトマン氏は従業員宛てに社内メモを送付しました。メモの中でアルトマン氏は、「事の経緯はどうであれ、これはもはやAnthropicと戦争省(国防総省)だけの問題ではない。これは業界全体の問題であり、私たちの立場を明確にすることが重要だ」と述べ、アモデイ氏を支持する態度を明確にしました。また、大量監視や自律型兵器の禁止といったAnthropicの「超えてはならない一線(レッドライン)」をOpenAIも共有しているとし、事態の沈静化に協力したいと記していました。

ここが、結構重要なんです。
アモデイは元Open AIの人間で、アルトマンとの思想の違いから別企業であるAnthropicを立ち上げ、バチバチにやり合ってるライバル企業で、バチバチに仲が悪いんです。だけど、この件に対してはアルトマンは擁護に回ったのです。
なので、この時は世間はアルトマンを称賛しました。

2026年2月27日
期限の数時間前、トランプ大統領がSNSでアンソロピックを「急進左派のAI企業」と非難し、連邦政府のすべての機関に対してAnthropicの技術の使用を直ちに停止(6ヶ月の段階的移行期間を設定)するよう指示しました。
期限経過後、ヘグセス国防長官はアンソロピックを国家安全保障上の「サプライチェーンリスク」に指定しました。

期限前にアモデイが「やだっ!」って答えましたからね。
期限前にトランプ大統領もオコでした。
結果、Anthropicがブラックリスト入り。

で、ここがビックリ。
同日の27日
ライバル企業であるOpenAIが、国防総省との間で機密システムへのAI導入契約で合意したと発表しました。OpenAIのサム・アルトマンCEOは、Anthropicと同様の「大量監視と自律型兵器の禁止」という原則を法律やポリシーの枠内で合意に盛り込んだと主張しています。

これが世間を「はぁああぁぁあああぁぁああああぁぁあああぁあああ!」とさせたのです。

アルトマン、君は昨晩ライバルであるアモデイを擁護してたよね?
だからみんな称賛したんだよね?
なのに裏で交渉進めてたの?
Anthropicの主張と同じ内容で契約したってどういうこと?
なんでAnthropicはダメで、OpenAIなら同じ条件をペンタゴンが飲むの?それきな臭い!
と、なったわけです。

ブラックリスト入りさせといて、軍はその後のイランへの攻撃にClaude使ってるって、報道されて。

結果、Chat GPTの解約ムーブが始まりました。
アルトマンは解約を阻止したいので
その後、いくつもアップデートやサービスを公開。

やらしいんだよね動きが。
美しくない。

みなさんは、今回の事どう思いました?

サム・アルトマンの功績は、確かに素晴らしいと思うんですよ。
今の世界的なAIの進化は、サム・アルトマンのおかげと言っても間違いないと思いますからね。
だけど、今回の件はわたしはドン引きしました。

あと、今回の件でビックリしたのは
元々、軍事利用にAIの制限があったんだなということ。
わたしは既に制限なんかないと思ってました。

AIはさまざまなリスクも伴うものなので
Anthropicみたいな企業にアモデイのようなトップがいることは
わたしは安心できるなと思いました。

Just be hopeful.

【NO.144】英語の壁、AIでぶっ壊せる。
「わかりやすい日本語にして」のひと言が最強だった件

1日で人生を変える方法 「わかりやすい日本語訳版」

2025年ももう2ヶ月が過ぎました。
年始に「今年こそは○○するぞ」と目標を立てた人、正直に言ってほしい。今も続いてます?
安心してください、別に責めてるわけじゃない。むしろ今日は、そんなあなたにピッタリの話を持ってきました。

1月中旬、Xでやたらシェアされている投稿を見かけた。
海外のクリエイター、ダン・コーという人物が書いた英語のテキストで、テーマは「1日で人生を変える方法」。

今年の目標が続かない人に刺さる内容らしく、かなり拡散されていた。気になったので読んでみることにした。
ただ、当然ながら英語だ。

ブラウザの翻訳機能で日本語にしてみたけど、正直よくわからない。心理学の話やアドラーの引用が出てくるし、抽象的な概念が多い。直訳された日本語を読んでも「なんとなくわかるけど、腹落ちしない」という状態になる。
そこで試しに、このテキストをAIに貼り付けて「わかりやすい日本語に翻訳して」と頼んでみた。

これが驚くほど違った。
同じ内容なのに、すっと頭に入ってくる。AIは直訳ではなく、意味を理解した上で日本語として自然な文章に組み替えてくれる。文脈を読んで、省略されている主語を補い、日本人が読んで「なるほど」と思える表現に変えてくれる。
たったひと言「わかりやすい日本語にして」と付け加えるだけで、理解度がまるで変わる。

おかげでこの投稿の内容をしっかり理解できた。そして読んでみたら、これがかなり面白い。
せっかくなので、この内容を動画にしてみました。
動画は上に埋め込んでます。

数年前まで、英語圏の最新情報をリアルタイムで理解するには、相当な英語力が必要だった。留学経験があるとか、英語で仕事をしているとか、そういう人だけが持てる「情報のアドバンテージ」があった。
今はもう違う。AIに「わかりやすい日本語にして」と言えるかどうか。知っているか、知らないか。ただそれだけの差になりつつある。

英語の論文だって、技術的な知識だって、海外の料理レシピだって。
今まで「英語だから」と敬遠していた情報が、たったひと言で手に届くようになった。
知りたいことがあるのに、言語の壁で諦めていた時代は終わりつつある。世界中の知識はあなたのすぐそばにある。
また世界が一歩近づきました。

Just be hopeful.

【NO.143】たぶん、OpenAIの噂のデバイスはこれ。「画面のないAI」が目指す未来

シャツの胸ポケットに入る小型端末とLoveFrom×OpenAIのロゴ

OpenAIとLoveFromが開発中と噂される
コードネーム「Gumdrop」と、コードネーム「Sweetpea」。
今日は、このデバイスが目指してるんじゃないかと思う未来についてお話します。

今のところの有力な情報としては
「画面がない」

なるほど、謎に満ちてていいですね。
そうなると、わたしの予測としてはこれです。

ジョニー・アイブ氏がデザインするので、形状はもっとスタイリッシュになると思います。
最初からこれが完成するのは難しいと思いますが、これを目標にしてるんじゃないかと願望に近い予測をしてます。

先ほどの、画像でピンと来た人もいると思います。
そうです。
映画「『her/世界でひとつの彼女』に出てくる人工知能型OSの「OS1」です。
経口補水液のOS-1じゃないですよ。

この映画を見た人は、ご存知だと思いますが
このOS1のサマンサを声で演技するのはスカーレット・ヨハンソンです。

ここまで話すと、なるほどと思う人も多いと思います。

話は2年前に遡ります。
2024年5月、OpenAIが発表した「GPT-4o」のデモで使用された音声のひとつ「Sky(スカイ)」が
映画『her/世界でひとつの彼女』のスカーレット・ヨハンソンの声に酷似しているとして、大きな騒動になりました。

この騒動の主な経緯はこんな感じです。

  1. 公開と同時に「似ている」と話題に
    OpenAIがGPT-4oのリアルタイム音声対話をデモした際、その声のトーンや話し方が『her』のサマンサ(スカーレット・ヨハンソン)を彷彿とさせると、SNSを中心に大きな話題となりました。
  2. サム・アルトマン氏のツイート
    さらに騒ぎを大きくしたのが、OpenAIのCEOサム・アルトマン氏による投稿です。彼は発表の際、X(旧Twitter)に一言だけ「her」とポストしました。これが「映画を意識して作った」という決定的な証拠と見なされました。
  3. スカーレット・ヨハンソン氏による抗議声明
    その後、スカーレット・ヨハンソン氏本人が弁護士を通じて声明を発表し、以下の事実が明らかになりました。
    OpenAIからの出演依頼: 発表の約9ヶ月前、サム・アルトマン氏から「システムの声を務めてほしい」と直接依頼があったが、彼女は個人的な理由で辞退していた。

直前の再依頼: 発表の2日前にも再度依頼があったが、返事をする前に音声が公開された。

本人の怒り: 彼女は「あまりに似すぎていて、親しい友人やニュースメディアですら区別がつかないほどだったと、怒りとショックを感じる」と述べました。

  1. OpenAIの対応
    OpenAIは最終的に、Skyの音声を削除しました。 ただし、OpenAI側は「Skyの声は別のプロの声優のものであり、スカーレットを模倣したものではない」と主張し、意図的なコピーについては否定しています。

と、まぁこんなことがあったわけです。

スカーレット・ヨハンソン氏と和解したかどうかは分かりません。
出来れば和解していて欲しい(笑)
ほんと魅力的な声ですからね。
日本語版は、ぜひ林原めぐみさんが担当してほしいです。

サム・アルトマン氏が「her」とポストしたわけで
映画『her/世界でひとつの彼女』は、まず見ていて意識してるわけで

一回の失敗で、諦めるとは思えないのですよ。
発表の9ヶ月前に依頼があったということは、2023年8月頃ですよね。
現在のサム・アルトマン氏の認知度と力は、当時とは桁外れですからね。
しかも今回は、ジョニー・アイブ氏もタッグ組んでます。

コードネーム「Gumdrop」はペン型という噂もあります。
ペン型であってもいいけど、書ける必要はわたしはあまり感じないんですよね?
どうなんだろ?

もうひとつの最近の噂は、コードネーム「Sweetpea」
これはイヤホン型と噂があります。もしかしたら、こちらの方がOS1には近いかも。

個人的には、形状はどんなでもいいんですが
人工知能型OSが欲しいです。

あるんじゃないかなぁ〜(願望)
OS1みたいなデバイス。

劇中の「恋は、公認の狂気だ」ってセリフが好きです。
まだ映画を見られてない方、ぜひ。

Just be hopeful.

【NO.142】国産AIが必要だと思う、たった一つの理由

国産AIが必要だと思う、たった一つの理由

多分、この話に強い興味を持つ人は多くないと思う。
それでも最近、どうしても頭から離れないテーマがある。
それが「国産AI」についてだ。

正直に言うと、私自身もまだうまく言語化できていない。
だからこれは結論を押しつける文章ではなく、頭の中を整理するための思考の記録に近い。

現在、LLMと呼ばれる生成AIの主流は、
ChatGPT、Gemini、Claudeの三つだろう。
国産のAIも存在はしているし、開発も続いている。

国産AIを推す理由には、さまざまな立場があると思う。
海外製品に負けたくない、日本の技術力を信じたい、あるいは外貨を稼ぐ手段として、安全保障上の理由として
どれも間違いではない。

ただ、私が国産AIを重要だと感じる理由は、少し違うところにある。
それは、「日本語という文化を、誰に託すのか」という問題だ。

今の主要なAIは、日本語をとても流暢に扱う。
質問をすれば、的確で、丁寧で、一見すると完全に理解しているような答えが返ってくる。
けれど、AIが学習している日本語の文献量は、全体から見ればごくわずかだと言われている。
多くの知識の土台は、英語によるものだ。

ここで、ひとつの言葉を思い浮かべてみる。
「木漏れ日」

日本人であれば、その意味だけでなく
光の揺らぎや、空気の温度、静かな時間の流れまで、
自然とイメージできる言葉だと思う。

世界を見渡しても、この言葉とまったく同じ意味を持つ単語は存在しない。
もちろん、AIに「木漏れ日とは何ですか?」と聞けば、それらしい説明は返ってくる。
辞書的には、正解だろう。

ただ私は
「それで本当にいいのだろうか?」と、ふと立ち止まってしまう。
理解している“ように見える”存在に、言葉の未来を預けてしまっていいのか。

若い頃、「和暦って意味あるの? 西暦だけでよくない?」
と思ったことがある。
合理性だけを考えれば、確かに不要に見える。
でも今は、あの感覚が少し違って見える。

文化というものは、空気のように当たり前にそこにあるからこそ
失われる瞬間まで、その価値に気づきにくい。
そして、一度失われた文化は、
元の形では戻ってこない。

もしかすると、昔の日本人が現代の日本語を見たら、すでに驚くかもしれない。
それほど言葉は、少しずつ変わり、薄まっていく。

だからこそ、これ以上劣化させないための「受け皿」として
日本語を深く理解する国産のLLMが必要なのではないか
そんなことを考えるようになった。

文化は、なかなかお金にならない。
残すのは大変だし、効率も悪い。

それでも
「木漏れ日」という音の響きは、美しい。
意味だけではなく、その響きごと、後世に残していきたいと思う。

私は最近、こうした美しいものを残すことこそが
技術が果たすべき役割の一つなのではないかと
そんなことを考えている。

Just be hopeful.

【NO.141】「人手不足」の正体は少子高齢化ではなく「IT化不足」

「人手不足」の正体は少子高齢化ではなく「IT化不足」

最近、どこに行ってもよく聞く話は「人材・人手不足」についてです。

・人が集まらない問題
・人が辞めてしまう問題

だいたい、この2点のことが多いです。
今回は、この2点についての、わたしの持論・解決策をお話しさせていただきます。

1.人材が集まらない問題


「どこで聞いても人手不足、少子高齢化でどうしようもない。」

よく聞くお話しです。
まず、人材が集まらない時のポイントは3つ。

・少子高齢化は社会の問題であり、企業の問題ではない
・安く雇える都合の良い人材を求めすぎている
・そもそも人材不足ではなくIT化不足

ひとつづつ解説していきます。

①少子高齢化は社会の問題であり、企業の問題ではない
少子高齢化と人材不足を結びつけるのは
カッコつけて言うと「外的帰属」とか「自己奉仕バイアス」とかいいますが
要は、悪い結果を他人のせいにするということ。

ミクロの問題に対処できない時に、マクロの問題にする。
最近はこのようなマクロ依存が強くなっている傾向を感じます。

近年の政治への関心の高まりなんかも、ある意味そうだと思います。
仕事の問題、パートナーとの問題、子供の問題、体調の問題。
本来は「自分の足元で向き合うべきミクロの問題」から目を背けるために、
マクロな問題に声をあげる。そんな構図も見え隠れします。

「自己保護」が根源としてある人類にとって、当然の思考すり替えだと思いますが問題は解決しません。

”他人のせいにしてはいけない”
誰もが幼少時代に教えられたと思います。

親の問題でも、環境の問題でも、社会の問題でもありません。
「わたしの問題です。」

そもそも「問題」をマイナス視すること自体がもったいないと思います。
問題なんて、直したり解決すれば良いだけです。
ただの「醍醐味」です。

②安く雇える都合の良い人材を求めすぎている
会社側が都合の良い人材を求めるように、求職者は自分に都合の良い会社を求めています。
…そりゃ、マッチングしませんよね。

給与や待遇が悪くて、優秀な人材。
宝くじより当たらんと思います。

大谷選手が結婚した時に、ガチで落胆した女性がたくさんいたらしいですが
いや、ワンチャンないでしょと、これ以上ない軽蔑の眼差しで見ていた男性。
同じことやってますねん。

③そもそも人材不足ではなくIT化不足
これが結構根本的な問題の場合が多い気がしてます。
「なんでそんな作業してるんですか?」ってことが、かなり多いのが現実です。

タブレットを使って紙を減らせば DX だと思っている企業が多い中で、
本当の意味での IT 化や AI 化が現実問題かなり難しいのは、よくわかっています。

しかし、人材不足を本当に解消できる唯一の手段は、ここにしかないとも思います。

タブレットもスマホもそうですが、所詮ユーザーにしかなれないです。
プレイヤーになるにはPC一択です。

これと同様に、AIの無料ユーザーは、所詮ユーザーにしかなれないです。
プレイヤーになるには課金一択です。

わたしは、ユーザーが悪いとは1ミリも思っていません。
プレイヤーになりたがっているのに、行動がずっと「ユーザー」のままの人を見ていると
「なんなん?」とは思います。

2.人が辞めてしまう問題


まずポイント3つ
・人は辞めるということ
・やる気搾取は御法度
・せっかく育てたのに辞めちゃう

①人は辞めるということ
人は固定的なものではなく、流動的なものです。
人が辞めてショックなのは、わかります。
しかし、辞める前提で考える必要もあります。

中小企業の離職率で見ると、ざっくりこんな感じです。

企業規模(従業員数)     離職率
300~999人         16.1%
100~299人         19.0%
30~99人          16.0%
5~29人           15.6%
※出典:厚生労働省「令和5年雇用動向調査結果の概況

これはあくまで平均で、もちろん業種によって大きく異なります。

離職率が高い業種
・宿泊業、飲食サービス業:26.6%
・生活関連サービス業、娯楽業:28.1%

離職率が低い業種
・製造業:9.7%
・金融業、保険業:10.5%

けっこう簡単に調べられるので、御社の業種で一度見てみてください。
平均の離職率と同等または低ければ、そこまで気にすることじゃないと思います。
一方で、平均より高い場合は、給与や待遇、人間関係などの問題がある可能性は高いです。

もちろん離職率は年齢によっても変わります。

年齢階級       離職率
19歳以下       43.1%
20~24歳       29.2%
25~29歳       21.8%
30~34歳       16.9%
35~39歳       14.8%
40~44歳       13.0%
45~49歳       12.0%
50~54歳       11.2%
55~59歳       10.3%
60~64歳       17.5%
65歳以上       14.1%
(参考)     全体平均15.0%

年齢が上がるにつれて、離職率が低下する傾向は、はっきりと出ています。
なので、離職率を下げたい!だけが目的であれば、高齢者の雇用でバッチリ解決できます(笑)

次に、中小企業の平均勤続年数は以下の通りです。
男性:10~13年
女性: 7~10年
※厚生労働省の調査による

ここで、注意する点は、離職率、平均勤続年は似て非なるものということ。
離職率は「人の流れ(フロー)」を見ているのに対して
平均年数は「今いる人(ストック)」を見ています。
この二つが混在すると肌感覚とのズレが起きます。

特に平均は、上下をカットしたトリム平均ではないので、平均値のマジックがあります。
「平均勤続年数」は、それ単体で見ると肌感覚とズレますが、「離職率」とセットで見ることで初めて意味を持つ(例:「平均は長いのに離職率が高い」=ベテランはいるが若手が辞めている会社)と理解するのがよいかと思います。
数値を見るだけで、数値が読めない人は、数値は追いかけない方が良いです。

結論で言うと、数値を読んで平均以下なら気になしない。
数値を読めない人は、そもそも気にしない。
これが一番です。

②やる気搾取は御法度
やる気搾取は大きく分けて2パターンあると思ってます。
・肩書を簡単にあげるパターン
・あげる肩書がない、給与があげられない、だから教育パターン

1)肩書を簡単にあげるパターン
⚪︎⚪︎リーダーとか、よく見かけますね。
責任だけあって、給与と権限が比例してない一番悪質なやる気搾取パターンです。
責任と給与と権限は比例して初めて成り立ちます。
このての企業はすぐに人が辞める傾向を強く感じます。

2)あげる肩書がない、給与があげられない、だから教育パターン
1)よりは良い気もしますが、あげれる肩書きがない、給与もあげられない、だから社員のモチベが上がらない
では教育して、モチベを上げよう。
んー幼稚園の頑張ったらシール貰えるみたいな感じは、大人には通用しないと思います。
先も述べましたが、モチベを上げるには
責任と給与と権限は比例して初めて成り立ちます。

やる気搾取は、見ていて一番美しくないとわたしは思います。

③せっかく育てたのに辞めちゃう
これもよく聞きますね。
ガッカリする気持ちはよくわかります。

わたしごとですが、ベンチャー企業時代に社長とぶつかった経験があります。
当時は「肩書は渡す・給与は渡す・しかし教育は徹底しない」という方針の企業でした。
幹部として、もっと社員教育を強めたかったわたしに社長が言いました。

「教育して成長すると、人は辞めるんだよ。人を集めるのにどれだけお金がかかると思ってる。」

はぁああああぁぁ?
と、当時は思いましたね。
器の小さい社長だなと。

「辞めたっていいじゃないですか、いつか今の自分があるのは
 あの会社で厳しくしてもらえたからと思ってもらえれば」と、言いましたが

わかってねぇなぁいう顔をされ、価値観の違いでそこから独立に向かいました。

でもね、20年以上経ってみて、あの時の社長の発言は「企業」としては間違ってなかったと思うんですよ。
現に今や5000人規模の企業になっていますからね。
企業とは「利益を上げるもの」と定義したとき、あの発言と決断は、正しいとも言えるわけです。

高いポジション、高い給与。
人は責任とお金と安心を抱え込んだまま、自分で動けなくなっていく。

そうやって“辞められない人”を増やすのが、経営としては一番ラクなんだろうな、とも思います。
でも、やらんけど。

わたしは、「いつ辞めてもいいし、辞めてもこの経験は血肉になる」
そんな時間を一緒に過ごせる会社の方が、少しだけ人間らしくて好きです。

人は辞めます。ITも進化します。
少子高齢化も、すぐには止まりません。

それでも、自分の会社の“人手不足”くらいは、
「時代のせい」じゃなく、自分たちの手でなんとかしていきたい。

Just be hopeful.