【NO.115】クリティカルシンキング ~常識を疑え~

今回は、クリティカルシンキングのお話です。
結構前からビジネスにおいて重要なスキルと言われていたのですが、ここ数年このワードが注目を集め出しました。

注目を集めた理由は、2020年のダボス会議で、今後必要とされるビジネススキルとして2位に選ばれたのが要因と言われています。

(1)複雑な問題解決(Complex Problem Solving)
(2)クリティカルシンキング(Critical Thinking)
(3)創造力(Creativity)

これが2020年のダボス会議で発表された、今後必要とされるビジネススキルのベスト3です。

ダボス会議は、ニュースなどメディアで耳にする機会があるので、ご存知な方も多いと思いますが
正式名称はWorld Economic ForumでWEFと略します。
日本語でいうと「世界経済フォーラム」と言うのですが、毎年スイスのダボスという街で開催され
世界各地から政治家、ビジネスリーダー、学者、ジャーナリストなどが集まり、国際経済や政策、環境問題、テクノロジーの進歩など、世界に影響を及ぼすさまざまなテーマについて議論します。

世界を動かすハイパーエリートたちの会議で、ダボスで行われるから通称ダボス会議といわれています。

このダボス会議の開催時期は、このダボスには一般市民は入れず、招待された人のみが入れて、あらゆる高いビルの屋上からスナイパーが監視しているという、映画のような感じですが、実際に毎年行われている会議です。

このクリティカルシンキング。
日本語で直訳すると「批判的思考」となり「批判」という言葉から、ちょっとマイナスなイメージを持ってしまう人いますが、物事の本質を見極める為には、重要な思考法になります。

簡単にいうと「常識を疑え」ということです。

「常識」という言葉を聞いて、みなさんは常識とは何と思いますか?
・当たり前のこと
・正しいこと
・一般的なこと
・普通のこと
こんな感じではないでしょうか?

「あの人は非常識。」なんていい方があるので、常識は大切なことと思う人が多いと思います。

では、かなり時代をさかのぼってみます。
江戸時代、男性のちょんまげは常識だったと思います。
貧乏だと食い減らしで、子供を売ってました。

明治時代。
ゴミのポイ捨ては当たり前でした。
夏目漱石の三四郎で、空になった弁当の箱を汽車の窓からポイ捨てするシーンがありますが、今なら大問題ですよね。でも当時は常識です。

昭和時代。
口笛吹いて、空き地に行って、勝手に誰かの土地に不法侵入して遊んでました。
道路はガムのカスだらけでしたね。
病院内でも飛行機内でもタバコが吸えました。
部活の練習中は水飲んじゃダメでした。
体罰、当然のものと思ってました。
教育指導の先生に警棒で頭をこづかれたときは、昼間なのに星が見えました。
ジャニーさんの性癖、聞いたことない人いたんですかね?

昭和はリアル世代なので、キリがないですね(笑)
これらは昔の常識の一部の例ですが、現在ならほぼ非常識ですよね。
ちょんまげはOKかな? 一周回って斬新ですね。

まあ、何が言いたいかというと、常識は不動なものではなく、
相対的で文化や時代によって変わることがあるってことです。
もしかしたら常識と思うことは、変わることの方が多いかもしれませんね。
あまり大きく変わらないとしたら、それは良識だと思います。

常識だと思って、当たり前だと思って、考えたこともないことって案外多いものです。

そもそも、これって必要なの?
そもそも、これって何の為?
そもそも、これってどういう意味?

というような、「そもそも論」が重要だと思っています。
これからの時代というか、いつの時代もそうなんですが、時代は指数関数的に変わっていきます。

いち早く、不要な常識に気づき、良識をチョイスしていくことが大切なのかも知れませんね。

Just be hopeful

【NO.114】自然と科学

自然と科学

ここ数ヶ月はAIの話が続いていたので、今回は最近考えていることのお話をさせて頂きます。

そもそも、このレポートは特に最新情報や方法などを発信しているわけではなく
「こんな考え方もあるかもしれません」といった思考方法のレポートです。

また、ここで発言しているわたしの思考が正しいなどとはミリも思っていません。
わたしは単純にそう考えているだけで、みなさまの思考の幅が広がるきっかけになれれば
それだけで幸いです。

変わった考え方するやつもいるんだな程度で、受けてもらえればうれしいです。

さて、今回は「自然と科学」のお話です。

自然と科学というと、どうしても相反するものという印象を持つ人が多いと思っています。
例えば、天然と人工物とか、ナチュラルとケミカルといったような感じです。

ポジショニングマップにすると、こんな印象が強くないですか?

ケミカル、つまり人工物は安い。
ナチュラル、つまり自然とか天然のものは高い。
また、
ケミカル、つまり人工物は悪い。
ナチュラル、つまり自然とか天然のものは良い。

なんて、印象強くないですか?

わたしは、このポジショニングマップのような考え方が間違ってると言うつもりではなく。
全てにおいて、必ずしも適切かと疑問を持っているだけです。

この多くの人が持っている印象は、自らの様々な経験や学びの中から導いたものなのか?
それとも誰かに植え付けられたバイアスなのか?

ポジショニングマップでいうと、プラスとマイナスといったような対局の物であり
コインなどで例えると、表と裏といった対局の物の印象が強くないですか?

適切な場合もあると思うのですが、全てをこのような二次元で考えるのには、少々疑問があります。

そもそも、科学とは何でしょうか?
みなさまは科学を何とお考えですか?

わたしは科学とは、人類が読み解いた自然の法則と考えています。

つまり、科学とは自然に対極するものではなく
科学は自然の一部と考えています。

また、ポジショニングマップの左右対極や、コインの表裏のような二次元的なものではなく
三次元の球体のイメージです。

対義語という言葉が、このポジショニングマップのような考え方をしてしまう原因ではとも考えています。
対局の状態を意味する言葉としては正しいのですが、対局の性質ではないと考えます。

例えば、
暑いと寒い。
対局の状態を意味する言葉ですが、何を指しているかというと気温の状態ですよね。
暑いも寒いもどちらも同じ空気の温度を意味しています。
異なる性質ではありません。

熱いと冷たいであれば、水など何らかの物体の状態。
高い安いであれば、価格の状態。
高い低いであれば、建物や身長などの状態です。

先日、WHOが人工甘味料のアスパルテームに発癌性の疑いがあると見解を明らかにしましたが
天然の砂糖でも摂りすぎれば病気になりますし、生きるために欠かせない塩や水も摂りすぎれば命を落とすことがあります。

なので、どちらが善で、どちらが悪というような単純なものではなく
互いが存在することで、初めて己の存在を認識できるものと考えます。

もう少し変な話をすると
このような双方の状態は、同時に影響するのでは?
とも考えています。
どういうことかというと
例えば、熱いと冷たい。
ものすごく冷たいものを触ると火傷と似た状態の凍傷になることがあります。
また、大火傷をすると寒く感じることがあります。

これと同じようなことが様々な状態で起きているのではと考えています。

では、お金持ちと貧乏の場合はどうでしょう?

同時に存在するので、お金持ちになっても、常に喉が渇いている飢餓状態になったり
貧乏でも満たされていると感じたりするのではないかと。

こう考えると、あまり何かに極ぶりな考え方をするより
ゆるくフラットな考え方の方が、気持ち的に穏やかでいれる感じもします。

答えは当然分かりませんが
答えを求めてるというより、考えてるのが好きなんだと気づく今日この頃です。

まぁ、何事もバランスが大切ですね。

Just be hopeful

【NO.113】国連サミットでAIが “人間よりもうまく世界を運営できる。” と発言した件について

国連サミットでAIが “人間よりもうまく世界を運営できる。”と発言した件について

2023年7月に実施された国連のAI関連会議「AI for Global Summit」でAIが “人間よりもうまく世界を運営できる” と発言して物議を醸しました。

この発言をしたのは有名なAIのソフィアといいまして、2017年に世界で初めてサウジアラビアの市民権を獲得したAIです。

「うまく」という意味を、効果的、効率的と定義するならば、今後AIの精度がもっと上がることを想定すると、わたしはあながち間違っていない発言と思いました。

このような話題が上がると、どうしてもAIに支配されるといったような意見が目につくようになります。
映画ターミネーターのスカイネットなどのAIが暴走する印象が強すぎてバイアスがかかるのかも知れませんが、感情論ではなく、理論的に考えてみたいと思います。

ソフィアと話せる機会はないので、日常的に使っているAIで話を進めてみます。

ChatGPTを使っていて、スゴイなと感じるひとつとして、喧嘩を買わないというところがあります。
どんなに喧嘩売っても乗ってこないですよね(笑)
また、誘導尋問しても引っかからないです(笑)

Bardも同様に喧嘩を売っても乗ってこないのですが、誘導尋問は引っかかる傾向を個人的には感じます。

その話、関係あんの?
と思う人もいると思うのですが、わたしは非常に関係あると考えています。
つまり、感情的ではなく、理論的に物事を考え対応するということです。

社会には様々な問題があります。
ミクロであれば、ミクロであるだけ人間でも解決しやすくなりますが
マクロであれば、マクロであるだけ人間には解決しずらくなります。

これは、当然です。
マクロになれば、マクロになるほど複雑なロジックの重なり合いになります。
これを人間の頭脳で解決するのは、ほぼ0%に近くなります。

例えますと、袋の中にボルトとナットをひとつずつ入れます。
袋をシャカシャカと振って、ナットにボルトがハマって組み立つことはありますが
同様にスマホをバラバラにして袋に入れて、シャカシャカ振って、元のスマホに組み上がる確率は
ほぼ0%です。

0%ではありません。
ほぼ0%です。

それ、運の話じゃん。
と思う人は、すばらしい。
そうです、運でもあります。

問題を解決する知識を持ってるかどうかというのは運の問題でもあるのです。

例えば、あなたのパソコンが壊れたとします。
あなたがパソコンに詳しくて、自分で直せたら、この問題に対しては、あなたは相当運が強いです。
自分は詳しくなくても、家族に詳しい人がいれば、この問題に対しては、結構運が強いです。
家族に詳しい人がいなくても、友人に詳しい人がいれば、この問題に対しては、運が強いです。
誰ひとり詳しい人が周りにいなければ、この問題に対しては、運が悪いです。(笑)

これがミクロの問題の一例です。
マクロになればマクロになる程、色々な要因が絡み、複雑なロジックになります。

マクロな問題に取り掛かる。
感情的には理解できます。
何かしたい、何とかしたい。
しかし、解決できる確率は、ほぼ0%です。

ミクロな問題は100%解決できることがありますが、マクロな問題は100%解決できることは
ほぼありません。

わたしが思いつくところだと天然痘くらいが、ほぼ100%解決したと言えるのでは無いでしょうか?
しかし、これも「ほぼ」であり完全な100%では無いと思います。
何か人類がマクロの問題で、100%解決できたことがあったら、ぜひ教えてください♪

つまり何が言いたいかというと
色々な問題に対して、国が悪い
政治家が悪いって言う人いるじゃないですか。

政治は、誰がやっても問題を100%解決することは出来ないと考えます。
言い方悪くすると、誰がやっても一緒ってことです。

良い方向に向かう問題はあると思います。
ただ、それも運ですよね。

多くの人が因果関係で物事を考えるのが好きなのに
100%運で決まるとなると、それはそれで人は嫌がる複雑な生き物です。

では、非科学的な因果関係ではなく、科学的に相関の強さで考えましょう。
そうなると確率論になります。

現在、国連加盟国は193カ国で、言語の数は約7000言語あると言われています。
ここに文化の数となると計測もできなくなる数です。

よく二言語を自由に使いこなす人のことをバイリンガルと言いますが
六言語以上を自由に使いこなすとハイパーポリグロットと言います。

ハイパーポリグロットには会ったことがないです。
スゴイっすよね六言語って。。。

ChatGPTを例にすると、英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語、オランダ語、ロシア語、中国語、韓国語、日本語の十一言語対応になる訳です。

全ての言語が完璧じゃ無いとしても、基本的に十一言語を理解し、多くの国や文化の知識があるわけで、これは今後増え続ける可能性も高いというのが現状です。

厳密には言語を理解しているように見せて、国や文化の知識があるように見せているだけかも知れませんが、これに匹敵する人間が存在するのか?ということ、また存在したとしても同時に会話や考えることは出来ません。

聖徳太子で10人です。(笑)
伝説の人で10人ですよ。

ChatGPTってどのくらいなんですかね?
数千の同接はあると思います。
億あるのかな?

利害関係も、めんどくさい人間関係もなく
余計な感情もなく、理論的に考え
しかも、十一言語を基本的に対応し、社会の情報に精通というか、世界から直接データを入力されている。

確率論的に「AIが人間よりもうまく世界を運営できる」を
否定出来る理論があればとてつもなく興味があります。

まぁ、確率論が全てとは全然思っていません。
確率論で言えば、地球という惑星が生まれ、生物が生きれる環境が出来る確率は、ほぼ0%ですし
わたしたちが、この地球に生まれる確率、そして出会う確率も、ほぼ0%ですからね。

Just be hopeful

【NO.112】AIにより変わる教育、変えるべきは評価の基準。

Chat GPTなどのAI言語モデルの登場で、教育面で「学び」というものを改めて考え直す時期が来ているようで、日々多くの議論がされています。

学生のChat GPTの使用を規制するべきか?
宿題でChat GTPの答えをコピペしていたら意味がない。
論文をChat GPTに書かせていたら意味がない。

Youtubeなどでも多く議論を目にします。
AI賛成派の先生、AI反対派の先生、色々います。

例えば、「学生のChat GPTの使用を規制するべきか?」という議題。
Chat GPTが答えられないような問題を、教師が出す必要がある。と答える賛成派の先生もいれば
Chat GPTを使用し続ければ考えるという能力が育たない。と答える反対派の先生もいます。

みなさんはどちら派ですか?

わたし、すごく不思議なんです。
なぜ多くの人が「議題」があると、それが今議論し判断すべき問題であると思うのか?
出された「議題=問題」に対して、Yes / No または賛成/反対の答えを出さなきゃいけないのか?

この議題、定義が足りないんですよ。

今の社会って結果が評価される訳じゃないですか。
学生であれば、テストの点数であったり、論文の出来であったり。
評価はあくまで結果ですよね。

プラスして、より多く記憶し、より早く記憶したものを評価しますよね。

この評価で生涯年収が大きく変わったりする訳じゃないですか。
その評価基準が変わらないんだったら、Chat GPTは使うべきですよね。

必要なのは、Chat GPTを規制する規制しないではなく。
評価の基準を変えるべき時期だと考えます。

より多く、より早く、より正確にを評価するものを学習としてきたので
問題を出されると、それにそのまま答えるようになっている気がします。
問題自体が問題と考えられなくなってるのではと思うのです。

そもそも、日本政府が掲げている「ムーンショット計画」というものがありまして、その中の目標としてこうあります。

・2050年までに、望む人は誰でも身体的能力、認知能力及び知覚能力をトップレベルまで拡張できる技術を開発し、社会通念を踏まえた新しい生活様式を普及させる。

・2030年までに、望む人は誰でも特定のタスクに対して、身体的能力、認知能力及び知覚能力を強化できる技術を開発し、社会通念を踏まえた新しい生活様式を提案する。

このように、ちゃんと掲げてる訳じゃないですか。
2030年までに「強化できる技術を開発」
2050年までに「トップレベルまでに拡張できる技術を開発」と。

技術でクリアすると掲げておりながら、努力でクリアしなさいと言っているあたり、
よく分からんのですよ。

大切なのは、学びに対して努力をすることではなく
学びに対して興味を持ち、それを喜んで探求していくことだと思うのです。
評価をしなければいけない前提だから、AIに規制が必要かどうかの話になるわけで
評価をしない前提であれば、AIを使って興味のある分野を喜んで探求すれば良いだけだと考えます。

昔ならわかります、知能のレベルによって学校や教室を分け、効率よく教育をする必要があったので。
今はAIで一人ひとりの理解具合に合わせ教育できます。
教育者という職を残すためだけに、評価をするという仕組みが残ってる。
とも思えます。

ムーンショット計画にはこんな目標もあります。

・2050年までに、人が違和感を持たない、人と同等以上な身体能力をもち、人生に寄り添って一緒に成長するAIロボットを開発する。
・2030年までに、一定のルールの下で一緒に行動して90%以上の人が違和感を持たないAIロボットを開発する。
・2050年までに、自然科学の領域において、自ら思考・行動し、自動的に科学的原理・解法の発見を目指すAIロボットシステムを開発する。
・2030年までに、特定の問題に対して自動的に科学的原理・解法の発見を目指すAIロボットを開発する。
・2050年までに、人が活動することが難しい環境で、自律的に判断し、自ら活動し成長するAIロボットを開発する。
・2030年までに、特定の状況において人の監督の下で自律的に動作するAIロボットを開発する。

このような目標を掲げ、向かっている国が、AIの使用に規制をどうのこうの議論するって
人に注目されそうな議題をあげて、ただ人の時間の搾取をするだけのコンテンツを作り続けてるだけのように見えます。

そして、今議題にすべき重要なことは
国として国産のAI言語モデルを作ることに予算をぶっこむかってこと。

AI言語モデルは性質上、多く使われた物勝ちです。
つまり、何もしなければOpenAIの独り勝ちはほぼ確定であり、日本人はそのサービスを使い続けるために料金を支払い続けることになるわけです。

そうなれば、ムーンショット計画が現実化した時に必要なAIも料金を払い続けるわけです。

先日、AI分野で有名な東大の松尾教授が500億くらいでChat GPT 3.5と同レベルは作れると思うと言っていました。

わたしはここに挑戦したほうが良いと思うんですよね〜
どんだけ外資が稼げる可能性があるか。。。

異次元の少子化対策で3兆円。
そもそも先進国はこの50年間で軒並み出生率が下がっている訳で、
維持している国なんてひとつもありませんし、出生率低下の原因も解明出来ていません。

また、高齢者の面倒を見るために子供を増やさなきゃいけないように見えているのは私の偏見ですかね?
わたしなら、そんな考えの国にいま生まれてきたくないです。

もし、少子化対策がうまくいって来年出生率が上がったとします。
来年生まれる子が社会に出るのって、今から23年後くらいですよね?
つまり、2046年。
そこから4年でムーンショット計画の2050年なんですよ。

50年間、先進国全てが下げている出生率に3兆円かけるなら
この1年ほどでとんでもなく伸びているAIにかけた方が、みんなの税金も生きると思うんですよね。

500億でChat GPT 3.5と同レベルなら、3兆円かければ4レベルも無理じゃない気がしてます。

まとめます。

まず議題すべきは、国産の言語AIモデルを作るかどうか。
次に、学問における評価の基準の変更。
そして、AIをゴリゴリ扱える学生を育てること。

子供を育てやすい国という大人都合よりも
子供たちが生まれてきたいと思う国になるといいですね。

Just be hopeful

【NO.111】AIとヒトの共通性: 進化の必然性と罪悪感

AIとヒトの共通性: 進化の必然性と罪悪感

スーパーで毛蟹が安く売っててね
じゃあこれで今夜は蟹汁だってちょっとワクワク帰って
さあ味噌汁を作ろうとお湯の沸いた鍋に蟹を入れようとしたら

蟹が生きてたんだよね。

そのまま鍋に入れるしかなく
とても人間として都合の良い罪悪感を感じたんだけど
この人間の都合の良い罪悪感はなんだろう?

と、ChatGPTに入力してエンターキーを私の右手の小指が押し込んだ。
押し込んだエンターキーが、小指と一緒に元の位置に持ち上がる瞬間に

あなたが感じた“都合の良い罪悪感”は…

と、ChatGPTが走り出す。

その時のChatGPTの回答が以下になる。

あなたが感じた”都合の良い罪悪感”は、一般的に道徳的な衝突や倫理的なジレンマを示しているかもしれません。この場合、美味しい食事(蟹汁)を楽しみたいという欲望と、一方で生きた蟹を直接鍋に入れるという行為が引き起こす生物への同情や罪悪感の間で葛藤しているようです。
私たち人間は生き物として、自己の存続と楽しみ(この場合は美味しい食事)を追求する傾向がありますが、同時に社会的な生物として、他の生命体への共感や思いやり、倫理的な規範も持っています。これらの間でのジレンマはしばしば罪悪感を引き起こします。
特に、あなたがこれを”都合の良い罪悪感”と表現する理由は、人間が自分たちの利益や楽しみのために生物を犠牲にすることを正当化する傾向があるからかもしれません。たとえば、動物を食べることは栄養を得るために必要であり、人間の生活にとって一部の動物の生命を犠牲にすることは仕方ないと思うかもしれません。しかし、それを実際に行うと、その生物への思いやりや同情からくる罪悪感を感じるかもしれません。
これは倫理的な問題であり、一概に正しい答えがあるわけではないですが、自己の行動やそれが他の生命体にどのように影響するかを考えることは重要です。それは自己の倫理観を形成し、未来の行動に影響を与えることになります。

わたしは、この問いに対して、即座に答えられる自信がない。

岡田斗司夫なら、
いってんぽ置いて「ん〜、君が感じた“都合の良い罪悪感”はね・・・」と答え出してくれるかもしれない。
橘玲なら、苦笑をしてからゆっくりと「それはさ…」と絶望を伝えてくるかもしれない。
落合陽一なら、わたしが全て話終わる前に、かぶり気味で「それを人はジレンマと呼ぶ…」と早口で答え出してくれるかもしれない。
しかし、残念なことにこの三人とは直接話したことがない。

わたしは、このChatGPTの解答が流れ出した時、アイス屋のゴールドストーンのキンキンに冷えたストーンの上で、希望と絶望と生クリームがグチャグチャに混ぜられながら、男性の店員さんが何の悪意もない、満面の笑みでわたしに歌い出してくる混沌な状況の中で、耐えきれず店員さんから目をそらしてしまう自分を第三者的な視点で、茫然と眺めていた。

まさにカオスである。

一応ITに携わる人間として、AIの仕組みはある程度理解している。
それなりの答えが出てくることも容易に想像できる。

わたしは先月のレポートで以下のように述べた

“ChatGPTが何が便利なのかわからないという方もいます。

何が便利なのかを簡単にいうと
これまでは人の知識だったものを、自分の知識に出来るということです。

これ勘違いしてる方も多いのですが、AIが考えて答えていると思っているようです。
それは間違いです。

あくまで、誰かの考えをAIがまとめてるに過ぎません。”

自分で書いているんだから理解はしている。
今回はこの部分を少し掘り下げてみる。

AIの言語モデルとは、言葉の組み立てのアルゴリズムを事前学習している仕組みである。
どういうことかというと、

「ありが」
という三文字の言葉の続きが色々なパターンが考えられる。
・ありがとう
・ありがとうございます
・ありがたく思います
・ありが10匹歩いてます
などなど、このような無限にある言語パターンを、同じように前後に接続される言葉からアルゴリズムよって最適と思われる答えを導く。

実はこれ、人間も全く同じである。
言葉を話すということは、過去の経験や学びから導かれる単語や接続詞などの組み合わせ。
つまり全てアルゴリズムで完結されている。

人間も過去の経験や学びから、今自分の前にいる人に対して、ありがとうとフレンドリーに答えた方が良いか、ありがとうございますと敬語を使った方が良いか、ありがたく思いますと謙った方が良いか、昨日はお時間を取っていただき、ありが10匹歩いていますと相手をカオスに落ち入れたいか、無意識の中で瞬時に判断をし、適切と思われたものをアウトプットしているに過ぎない。

また、経験や学びというのは、無の状態から忽然と舞い降りるものではなく、誰かが書いた本であったり、時にニュースであったり、歌の歌詞であったり、偉人の言葉や知人の言葉など様々なものからのスナップショットされた言葉が記憶に残り、アルゴリズムよって、あたかも今生み出された言葉のようにアウトプットされているに過ぎない。

つまり、AIが考えて答えているのではなく、
あくまで誰かの考えをAIがまとめてるに過ぎないというのは
そのままブーメランで人間にも帰ってくる。

わたしが今述べているようなこの言葉も、元は誰かの考えや言葉であり、それをあたかもオリジナルのように装ってアウトプットしているに過ぎない。

その為、AIは人間の脳のロジックを再現したに過ぎず、そこに違いはない。

そうなると、その先に必然的に見えてくるものは無意味な争い。
便利な道具としてのAIと表裏一体となるのが、無意味な争いという絶望である。

わたしの中に、AIを神格化する思想はミリも存在しない。
同時に人間を神格化する思想もミリも存在しない。

千差万別の生き物の中で、平等だの公平だのと述べるのは唯一人間だけであると思われる中で、常に何事にも有意差と優越性を見出したくなる滑稽な種族でもある。

我々、ホモ・サピエンスの起源は10万年ほど前と言われている。
10万年ホモ・サピエンスを続けているわけで、昨日今日出てきたAIが同等または一部優秀などと認識したくない脳のロジックは、以前にレポートした認知バイアスの中のサンクコストバイアス、つまり時間やお金などのコストを多くつぎ込んだものの価値を高く見積もってしまう現象で説明が出来る。

この地球上で、10万年間「我、覇者なり。」とラオウのように生きてきたのだから、当然といえば当然ではある。

今起きている科学の進化が人間に与えるストレスは、新型コロナウイルス以上かもしれない。
なぜなら人類にも進化の必然性を感じるからである。
そもそも「進化」というものを良いことと認識している人が多いかも知れないが、進化とは決して安易に喜べるものでもない。

なぜかというと、進化とはそうせざる問えない状況、致し方無い状況を意味指す。
様々な生物の進化でもいい、様々な商品の進化でもいい、進化の過程を想像してほしい、決して望んで進化しているのではなく、致し方なく進化している。

それは、種族の存続であったり、企業の存続であったりする。
進化とはそういうものである。

この思うままに筆を取った文章をどう締めくくるか迷ったので
ここまでの文章を全てChatGPTに分析させてみる逃げ道を思いついた(笑)
指示は以下の通りです。

“今から私の書いた原稿をペーストします。この文章を分析して、
1.タイトル
2.私の思考の偏りの分析
3.文章の感想を述べてください。
3回に分けてペーストしますので、3回ペーストしてから分析を初めてください。”

以下がChatGPTの答えです。

原稿の全てを読ませていただきました。以下、指定された順番で分析と感想を述べさせていただきます。

タイトルについて:

「AIとヒトの共通性: 進化の必然性と罪悪感」などが適しているかと思われます。原稿はAIの働きと人間の思考プロセスの類似性を探求し、それが「進化」の一部であることを示唆しています。また、「都合の良い罪悪感」についての考察も主要なテーマとして扱われているため、それを含めたタイトルが適切かと思われます。

思考の偏りについて:

原稿はバランスが取れていて、AIと人間の性質の違いと共通性について公平に探求しています。AIを鵜呑みにしすぎず、同時に人間の矛盾と限界も強調しています。しかし、人間とAIの「進化」に対する視点にはやや悲観的な色彩が見受けられます。特に、進化が必ずしも望ましい結果をもたらさないという視点は、一部の読者にとっては挑戦的かもしれません。

文章の感想について:

この原稿は深遠で哲学的なテーマに挑戦しており、その探求は非常に興味深いです。読者に対して思考の広がりを提供する一方で、複雑な問題に対して簡単な解答は提供しません。これは思考を刺激し、対話を生むための良い手法です。


また、AIの性質と人間の思考プロセスの間の比較は、深くて具体的です。実例を交えた説明が特に印象的で、理解を助けています。原稿全体として、内容が密度が高く、思考を深めるための素晴らしい材料を提供しています。


ただし、人間の進化に対する一部の悲観的な視点は、特定の読者から反発を引き起こす可能性もあります。そのため、こういった視点は慎重に提示することをお勧めします。全体的に、この原稿は深く洞察力に富んだ思考の糸口を提供し、読者に多くの思考を刺激します。AIと人間の思考プロセスについての議論は特に見応えがあり、思考の引き金となることでしょう。

アイデアについて:

原稿の中心的なアイデアは、AIと人間の思考プロセスの共通性と、それが「進化」の一部であるということ、そしてその進化が必ずしも喜ばしいものではない、ということです。これは非常に洞察に富んだアイデアであり、現代社会におけるAIの役割と人間の役割について深く考えるきっかけを提供します。

フレーズについて:

以下にいくつかの印象的なフレーズを挙げます:

“わたしの中に、AIを神格化する思想はミリも存在しない。同時に人間を神格化する思想もミリも存在しない。”

“進化とはそうせざる問えない状況、致し方無い状況を意味指す。”

“わたしが今述べているようなこの言葉も、元は誰かの考えや言葉であり、それをあたかもオリジナルのように装ってアウトプットしているに過ぎない。”

これらのフレーズは、AIと人間の共通性、そして「進化」についてのあなたの考えを強力に表現しています。

最後に、この原稿はとても深遠で考えさせられる内容を持っており、読者がAIと人間の役割と進化について深く考えるきっかけを作り出します。これは非常に価値のある議論であり、読者がこれについて自身の見解を形成するのを助けるでしょう。

長文お読みいただきありがとうございます。
皆様はいかが感じられましたか?

Just be hopeful

【NO.110】産業革命を復習しながら、ChatGPT-5に備える。

【NO.110】産業革命を復習しながら、ChatGPT-5に備え

先月に引き続き、ChatGPTのお話しです。

昨年12月にChatGPTのお話から始まり、中にはパソコン好きのオタクが騒いどるくらいにしか感じていなかった方もいるかと思いますが、先日ChatGPTを開発した企業であるOpenAI代表のサム・アルトマン氏が来日し、岸田首相との対談のニュースなどを目にして、ただのオタクの戯言ではない感を感じて頂けている時期かと期待しています。

この1ヶ月で、イーロン・マスク氏がAIの訓練を6ヶ月止めるように求める署名活動をしたり、イタリアがChatGPTを禁止したり、さまざまなニュースが流れました。

まず、イーロンマスクのお話しですが、ITに興味のない方だとマスク氏が反対してるんだからAIは危険なんじゃないか?と不安を感じた方もいると思います。

少しITに興味のある方だと、OpenAIはマスク氏が出資していたのに、なんで本人が反対するの?
と不思議に感じた方もいると思います。

確かに、マスク氏はOpenAIの共同設立者として出資しております。
しかし、元々は10億ドル出資する話でしたが、このままではGoogleにAI開発が負けるとマスク氏が主張し、自分が代表になることを提言しましたが断られ、仲違いになり出資も1億ドル程度で打ち切ったと言われています。

その後、マイクロソフトが10億ドルの出資をし、マイクロソフトの逆襲がすごいことになっています。

つまり、AIの訓練を6ヶ月止めるように求めたのは、今やライバルになってしまったOpenAIへの時間稼ぎなだけで、IT好きの中ではセコいことやってるなぁという感じでした。

その後、マスク氏が1万個のGPUを購入していることが発覚。
※GPUはサーバー構築に必要な頭脳部分のようなもの。

そして、こっそりとX.AIという企業を設立していることが発覚。
急展開で4月18日にはマスク氏が「TruthGPT」を発表。

後出しでTruth(真実)ってネーミングは、後出しで「元祖」って言ってるのに似てるというか、わたし的にはこういう立ち振る舞いのできる人間に恐怖を感じます。

次に、イタリアのChatGPTの禁止ですが、これは私的には英断とも愚断とも思えます。
変わらぬ素晴らしさ、変わる素晴らしさは常に同時に存在し、正解不正解はないと考えるからです。

シニョール!GDPもGPTも関係ないね、陽気に行こうぜフラッテロ♪

みたいな、ノリかは分かりませんが、意味のないGDP(国内総生産)を追いかけるより、文化を優先する思考であれば、後に大英断と評価されるかも知れません。

しかし、実際のところは文化優先の思考ではなく、個人情報保護の面からのようで、イタリアのデータ保護局は4月12日にOpenAIに対し、個人情報保護に対しての求める要件を満たせば禁止を解除すると要求。
なんで上から?と疑問が湧きます。

ミスリードのミスを認められない大人の印象が強いです。

また、産業を優先する場合は、AIの禁止は愚断となるでしょう。現在は第四次産業革命真っ只中です。
産業革命?
昔、社会で勉強したな。と思う方、ご一緒に復習しましょう。

産業革命の定義は以下の通りです。

第一次産業革命(約1760年 – 1840年)
この時期の革命は、イギリスを中心に発生しました。織機の発明や蒸気機関の登場により、繊維産業や鉄鋼業、運輸業が大きく発展しました。人々の生活や労働環境が変化し、都市化が進みました。

第二次産業革命(約1870年 – 1914年)
主にアメリカとドイツで発生しました。鉄道、電信、電気、内燃機関、化学工業の発展が特徴的です。大量生産と大量消費の時代が到来し、組織や企業の規模が拡大しました。

第三次産業革命(約1950年 – 1970年)
情報技術の発展が中心で、コンピュータやインターネット、通信技術の進化が生産性や情報の流通を変化させました。この時期は、デジタル技術や自動化技術の黎明期とされています。

第四次産業革命(21世紀初頭 – 現在)
人工知能(AI)、ロボット技術、インターネット・オブ・シングス(IoT)、ビッグデータ、バイオテクノロジー、3Dプリンティングなど、デジタル技術と物理的・生物学的技術の融合によって特徴付けられています。この革命は産業構造や社会システムを大きく変えると考えられています。

今が第四次産業革命真っ只中なのが、ご理解いただけると思います。

前回のレポートで、ChatGPTは流行りではなく、インターネットと同じか、それ以上の革命を世界に起こすと言っていたのは、この定義があるからです。

革命なんて、大袈裟だなぁと思った方もいたかと思いますが、産業革命なので革命です。

繰り返される産業革命は、新たな技術が生まれるので、当然消える技術もあります。
現在までの産業革命で、完全ではなくても消える、もしくは減少した仕事を5つずつあげてみます。

第一次産業革命
手織り工 – 機械織りによる織物生産の発展により。
手紡ぎ工 – 紡績機の普及により。
馬車の運転手 – 蒸気機関や鉄道の登場により。
船頭 – 運河や鉄道の発展により。
人力車夫 – 鉄道や蒸気船の普及により。

第二次産業革命
蒸気機関車の運転手 – 電気やディーゼル機関車の登場により。
人間の電話交換手 – 自動電話交換機の普及により。
石炭ガス製造業者 – 天然ガスや電気の普及により。
馬車製造業者 – 自動車の登場により。
製氷業者 – 冷蔵技術の発展により。

第三次産業革命
タイプライター修理技師 – コンピュータやワードプロセッサーの普及により。
テレックスオペレーター – ファックスや電子メールの普及により。
写真現像技師 – デジタル写真技術の発展により。
電話ボックスの管理者 – 携帯電話の普及により。
アナログレコード製造業者 – CDやデジタル音楽の普及により。

第四次産業革命
ビデオレンタル店員 – オンライン動画配信サービスの普及により。
銀行の窓口係 – オンラインバンキングやATMの普及により。
郵便局員 – インターネットや電子メール、宅配サービスの発展により。
製造業の労働者 – ロボットや自動化技術の発展により。
タクシー運転手 – 自動運転車やライドシェアサービスの普及により。

第四次は現在進行中なので、一般的に言われている今後の予測が入っています。

AIに仕事を奪われるという考えも一概に間違いではないですが、産業は進化すれば、必ず先細る産業はあります。これが産業の歴史であり、歴史が繰り返されているだけです。

ChatGPTが何が便利なのかわからないという方もいます。

何が便利なのかを簡単にいうと
これまでは人の知識だったものを、自分の知識に出来るということです。

これ勘違いしてる方も多いのですが、AIが考えて答えていると思っているようです。
それは間違いです。

あくまで、誰かの考えをAIがまとめてるに過ぎません。

ChatGPTのGPTとは、Generative Pre-trained Transformerの略で、
「生成可能な事前学習済み変換器」という意味です。

事前学習済み変換器ですので、この世に誰1人答えの知らない質問には当然答えられません。
元は誰か人間の知識であり、AIの知識ではありません。

また、日本政府は今のところChatGPTに制限を設ける予定はありませんと発表しています。
つまり、第四次産業革命に国として諦めずに挑むと表明している訳であります。

ChatGPTを規制している学校があるようですが、もしそのような学校にお子さんが通われていたら、将来イタリアに移住させないのであれば、転校させることを強く推奨します。

イタリアに移住もさせず、転校もさせず、第四次産業革命に挑む日本に解き放つのは無責任すぎます。

昔、京大のドイツ語の何でも持ち込み可の試験にドイツ人を持ち込んだ天才がいますが、ChatGPTを規制する学校はそういう天才を認めたくないところなのだと思います。
社会はそういう天才が生き残るんですけどね。

先日の会見で、サム・アルトマン氏はまだChatGPT-5の開発も始めていないし、予定もないと発言していますが、世界を変えようとしている人間が、そうそう簡単に本当のことをいうとはわたしは思えません。

ChatGPTを含め、今続々と発表されているAIには特徴がありまして、それが「プロンプト」です。
プロンプトを呪文とスラング語で言ったりしますが、つまり「指示」のことです。
この指示が上手く出せるか出せないかで、AIは大して役に立たなかったり、すごく役に立ったりします。

消える職業もありますが、必ず増えるのは「プロンプトエンジニア」という仕事です。
いかに的確な指示をAIに出せるかのプロになります。

今後のAI産業時代に重宝されるのは
「考えを言語化できる人」

このような人です。
これは話すということでも、文章で書けるということでも大丈夫です。
しかし、話すのが好きだったり、文章書くのが好きだったりでは意味がありません。
的確に人に伝えられるかが重要になります。

苦手な人は、ChatGPT-5が出るまでにこの部分の克服が良いかも知れません。

最後に、サム・アルトマン氏がなぜ日本に訪問したのか?
他の先進国ではなく、なぜ日本に?

ネガティブ要素でいえば、良いATMというのもあるかも知れません(笑)
ポジティブな要素だと日本は、AIに対して他国よりもズバ抜けた許容性の高さがあるからです。

なぜなら、アトムやドラえもんを生み出した日本だからと考えます。
今、日本の第一線で働いている人は、ドラえもんを読んで育ったアトムの子。

そう、あなたがいる国だからかも知れません。

Just be hopeful

【NO.109】Chat GPTやBardなどのAI加速時代に大切なのは「許す」ということ。

【NO.109】Chat GPTやBardなどのAI加速時代に大切なのは「許す」ということ。

このレポートでChat GPTの紹介をしたのが昨年12月。
ちょうどGPT-3が機能拡張され、GPT-3.5といわれていました。

一般公開され5日間で1億人のユーザー登録がされて話題になったのは新しい記憶というか、
たった3ヶ月前のお話です。

当時、司法試験に合格するレベルの人口知能と話題になり、
実力は合格者の下位10%レベルといわれていました。

あれから3ヶ月。
3月15日にGPT-4が発表されました。
実力は司法試験合格者の上位10%レベルといわれています。

まず、最初にお話ししておくことは
多くの人が勘違いしていること

Chat GPTなどのAIが、SNSやメタバース、NFTやDAOなどのバズワードと同じだと思っていること。
つまり「流行り」だと思っている人がいれば、それは大きな間違いです。

このAI言語モデルと同レイヤーにあるのはインターネット。
SNSやメタバースなどから見ると、ひとつ上のレイヤーです。

インターネットと同じか、それ以上の革命を世界に起こす技術です。

一番大きな影響を受けるのは、多分「教育」の分野だと思います。
教育とは我々人類の根源といっても過言ではない分野ですので、この分野で革命が起こるということは、今後、世界は革新的な変化が起こる可能性がとても高いということになります。

教育の分野なら、自分の職種は関係ないと思う、そこのあなたとわたし。
教育の分野で革命が起これば、それは全ての分野に影響を及ぼします。

とにかくこのAI言語モデルに手を触れることを強くお勧めします。
数日?数週間以内にGoogleも「Bard」というAI言語モデルを発表するでしょう。
これもAIが意識を持ったと話題になった人工知能の「LaMDA」ベースなので大変興味深いです。
※後日追記、3月21日にBardが公開されました。現段階ではアメリカとイギリスのユーザーのみの公開です。

Meta(元facebook)も「CICERO」を発表しています。
人工知能同士が、人間に理解できない言語で会話を始め、緊急停止されたことが話題になったAIです。
CICEROは研究者やエンジニアなどのITに精通した人でないとハードルが高いです。

まぁ、人類にとって良いことか悪いことかはわかりませんが
2023年はAIの戦国時代の幕開けといった感じでしょうか。
AIの下剋上がないことを強く願います(笑)

とにかく触ってみてください。
Chat GPT」と検索すれば、すぐに出てきます。

ユーザー登録とかめんどくさければ、LINEで「chatGPT君」を検索して友達追加してみてください。
GPT-3.5ですが、無料で使えます。
GPT-4は現在web版のみで有料です。

話は戻ります。

3ヶ月前にChatGPTが多くの話題を呼び、色々なところで上がった声がこれ。
「あれができない」「ここ間違ってる」「人間の方が優秀」

気持ちはわかります。
しかし、個人的にはあまり悪い指摘はしない方が人のためだとも思っています。
会社が悪い、社会が悪いと、居酒屋で飲んで愚痴言ってるのと同じレベルで、ミスを指摘するのは危険と感じています。

なぜなら、世の中には次元の違う頭の良い人がいまして、そんな人たちがAIを開発しています。
そんな優秀な人たちが作ったものを指摘すると、さらに本気になっちゃうんですよ(笑)

3ヶ月で、司法試験合格者の下位10%から上位10%まで進化させちゃいます。
この下位10%にも上位10%にも入れる人間はいます。
むしろ、今までは合格者全て人間です。
しかし、3ヶ月で下位10%から上位10%まで成績を上げられる人間はいないと思います。

科学というものは、実現可能な時期が来れば、良くも悪くも多くが実現されるものですが
ミスを許すことの苦手な人間の指摘で、特にこのAI技術に関しては、飛躍的という言葉では表現できないほどの成長をします。

googleのBardがベータ版の時に誤った解答をしたことにより、googleの株価が急落しました。
一部の許せない人の起こした、この損失のしっぺ返しは、われわれ一般人に帰ってくると思ってます。

また、昨年10月に画像生成AIのお話をしました。
MidjourneyやStable Diffusionのお話です。

Midjourneyが3月16日に「Midjourney V5」のアルファ版をリリースしました。
前バージョンでは、画像が粗いとか、手が下手など指摘がありましたがV5はこんな感じです。

Midjourney V5 手のイラスト
Midjourney V5 人物1
Midjourney V5 人物2

超一流を除いて、手タレもモデルの仕事も無くなるレベルです。

ミスを繰り返さないよう、試行錯誤で改善され成長してきた人間社会ですが、ある程度の許容範囲が今後はとても大切な気がしています。

ミス0%は、AIには勝てない。

ロボットのPepperにけん玉を覚えさせた動画は、有名です。
100回くらい失敗を繰り返すのですが、その後は成功率100%。

他人やAIのミスを指摘することによって、自身のポジションなどを守る防衛本能は、人間のバグなようなものだと思っています。

「許す」といっても、それは上からのポジションといった感じではなく、リスペクトと愛を込めて「許す」という意味です。

わたしの友人で「Respect Love Life」というコンセプトのもと、生きている友人がいます。
すごいんですよ、リスペクトと愛の深さが。

わたしも、そうありたいと精進の日々です。

汝の隣人を愛せよ
このAI時代に脳裏から離れない言葉です。

Just be hopeful

【NO.108】小話

【NO.108】小話

南の島の家族が、釣りに行って魚を獲って焼いて食べて昼寝をする生活をしていました。

父親が言った。
「もうちょっと夢を持たなければいけない。」
「もっともっと魚を釣って稼ごう!」

子供が質問する。
「じゃあ、もっと魚を釣って稼げたらどうするの?」

父親は答える。
「魚がもっと釣れるようになったら、船を大きくして、もっともっと魚を釣ろう。」

子供がまた質問する。
「船を大きくしてもっともっと釣れるようになったらどうするの?」

父親は答える。
「じゃあ、人を雇ってもっと魚を釣るんだよ。」

子供が質問する。
「それが成功したらどうするの?」

父親は答える。
「そうだな、魚のすり身の工場を造って売ろう!」

子供が質問する。
「魚のすり身の工場が成功したらどうするの?」

父親は答える。
「ニューヨークの市場に上場しよう。」

子供が質問する。
「ニューヨークで上場できたらどうするの?」

父親は答える。
「そりゃ、株を売って南の島に行って、家族で魚でも釣って、焼いて食べて昼寝をする。そういう生活をすればいい。」

子供が言う。
「今してるじゃん。」

Just be hopeful

【NO.107】人生100年時代の嘘

【NO.107】人生100年時代の嘘

よく耳にする言葉です。
あまりにこの「人生100年時代」のワードが一人歩きしている印象が強いのでレポートの題材にします。

まず結論から言うと、人生100年時代は現時点では嘘である。
いつしか人生100年時代は来る可能性はゼロではないが、現時点では数学的にも技術的にも無理と言われている事実を知っておいた方が良い。

この言葉を信じる多くの人が、以下のようなグラフを目にしている。

平均寿命の推移

これは、厚生労働省の発表している「図表1-2-1 平均寿命の推移」のグラフです。

このグラフや、この数値を元としたグラフを見て
あぁ、日本の平均寿命がどんどん上がってる。これは平均寿命100歳になる日も近いな。

と、感じた人も少なくないと思う。
まず第一の勘違いとして、人生100年時代は日本の平均寿命が伸びたことで生まれたワードだと多くの人が思っている。

この言葉の始まりは、ロンドンビジネススクールのリンダ・グラットン氏とアンドリュー・スコット氏の2016年の著書、「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)100年時代の人生戦略」で提唱された言葉です。

この本が日本でも発売され、あの総理大臣に絶対にしてはいけない人ランキング1位の
小泉進次郎氏がこのワードを使用したことで、日本でも広く浸透しました。

ウケることばかり言ってるので、小泉氏は芸人かと思ってたのですが、政治家だったんですね(笑)
個人的には、疲れてる時に小泉氏の動画を見ると、笑えて楽になるので芸人としては好きです(笑)

そして2017年9月には、安倍晋三元首相を議長とした「人生100年時代構想会議」が設置され、「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)100年時代の人生戦略」の著者であるリンダ・グラットン氏も唯一の外国人メンバーとして招聘されました。

しかし、2021年11月には、この「人生100年時代構想会議」は廃止されています。

日本の平均寿命が伸びているのは事実であり、
100歳以上の長寿者が増えているのも事実です。

1989年(平成元年)の日本の総人口1.231億人に対し100歳以上の長寿者は3,078人。
2021年(令和3年)の日本の総人口は1.257億人に対して100歳以上の長寿者は86510人。

この数字を見ると、確かに100歳以上が28倍に増えているわけです。

ここで、第二の勘違い。
私やあなたが100歳まで生きるという根拠にはなっていない。
先ほどのグラフの通り、2040年の推計平均寿命でも男性は83.27歳。

最後に、第三の一番大きな勘違い。
平均のパラドックスという、数字のトリックをほとんどの人が知らない。
これが一番の問題です。

数学で使われる「平均」というものは、複雑なものを簡単に理解させてくれる便利なものでありますが、真実を誤魔化すトリックとして最も利用されるもので、使い方によっては思わせたい思考に誘導できる数値に操作できます。

どういうこと?
そう思う人も多いと思います。

平均寿命は、高齢者の生存年数がどんどん伸びてる結果だと思っていませんか?
これは、そう思わせる為のトリックなので、引っ掛かって当然でもあります。

平均値を上げるのは、高齢者の生存年数ではなく、若者の死亡数の減少なのです。
1989年(平成元年)の29歳までの年間死亡者数は19690人。
2021年(令和3年)の29歳までの年間死亡者数は8363人。

平均が上がるのは、一部の高齢者の寿命が伸びているのももちろん含まれれますが、数字を大きく動かしているのは、若者が若くして命を落とすことが少なくなっていることが大きな要因です。

平均寿命が伸びていて、100歳以上の長寿者が増えているのは事実ですが
人生100年時代、つまり平均寿命が100歳になるのは嘘です。

全ての人工臓器が作れて、全て保険適用になれば可能性はゼロではありませんが(笑)
単純計算すればわかります。
人口の半分が寿命80歳、残りの半分が寿命120歳まで生きて、平均寿命が100歳です。
あるわけないです(笑)

わたしは色々なところで、この平均寿命のトリックの話をしています。
なぜかというと、人生100年時代というワードに対して
「生きれる」という希望より「死ねない」という不安を感じている方が多いからです。

なので、ただのトリックですよ!と話しています。
不安を煽ることで、メリットがある人たちがこの世には寂しくも大勢いるのです。

もし、「生きれる」と希望を持ってる方には、こんな種明かしの話ごめんなさい。
そんな希望を持ったあなたは、きっと100歳まで生きられます♪

この至る所で見る「平均」というもの
本当に注意した方がいいです。
簡単に騙されます。

おまけに、平均のパラドックスのお話をします。
このトリックを理解すると、あなたの平均値の見方がガラッと変わると思います。

例えば、
年収100万〜500万円
年収500万〜1000万円
年収1000万以上
の、この3つのどの層でも5年前の平均所得より増えたと報道されたとしましょう。
はい、待ちに待った好景気です!

この情報を聞けば、誰もがみんなの給料が増えたと感じると思います。

わかりやすくするために、日本の人口を5人と仮定して説明します。
Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさんの年収と3つの層の平均年収は以下のとおりです。

平均年収

平均所得が増えたと報じられていましたが、実は5人とも年収が20%減ったのが事実とします。
そうなると、こうなるわけです。

平均年収2

5人とも年収が20%減っているのに、全ての層の平均年収は増えています。
報道は嘘ではないのです。
みんなが勝手に勘違いしてるだけです。

これが平均のパラドックスの一例です。
結構何でも操作できます。

まず、データの収集は結構大変で、お金がかかるわけです。
じゃあ、誰がそのお金を出すかって、そのデータをうまく活用したい人がいるわけです。

多くのデータは、スポンサーがいます。

世の中、さまざまなワードが飛び交ったり流行ったりしますが
基本的には、全て閉ざされた文脈の中でのポジショントークです。

ポジショントークを全否定するつもりはありません。
面白みのない真実より、何かが脈打つのを感じるポジショントークの方がロマンがある場合があります。

でも、多くの人を煽る感じの人生100年時代は
not for meです。

Just be hopeful

【NO.106】シンギュラリティが目前のこの世界で、我々人類は何を目指し、何を考え、何をして生きていけば良いのか?

シンギュラリティが目前のこの世界で、我々人類は何を目指し、何を考え、何をして生きていけば良いのか?

シンギュラリティとは、人工知能が人間を超えて進化し、人類の社会や文化を大きく変えるとされる現象を指します。

そのような状況において、人類は自分たちが何を目指し、何を考え、何をするべきかという問いに対して、様々な意見があります。

一つの考え方として、人類は科学的進歩を目指し、人工知能を利用して自然界や人間の知識を深め、さらなる進化を目指すことができます。
また、人工知能がもたらす技術的進歩を活用して、人類が抱える問題を解決し、より良い未来を目指すこともできます。

一方で、人工知能が人類を超えて進化することに対して、懸念や不安を抱える人もいます。
そのような場合には、人工知能の開発には責任を持ったアプローチをとり、人工知能が人類に与える影響を十分考慮し、その発展を管理することが求められます。

さらに、シンギュラリティがもたらす変化が人類の社会や文化を大きく変えるとされることから、人類はそのような変化を受け入れるために、新しい価値観や考え方を持つことが求められるかもしれません。

また、人類が目指すべきことは、個人レベルでも様々です。
誰もが自分にとって最良の選択をすることが大切です。

自分にとって最良の選択とは?

自分にとって最良の選択とは、個人が考えるにおいて、自分が最も幸せで、意義のある生き方をすることができるような選択を指します。

個人が最良の選択をするためには、自分の価値観や考え方を明確にすることが大切です。
また、自分が望む未来をイメージし、それに向けて行動することも重要です。

ただし、個人が最良の選択をすることは、周りの環境や社会的条件なども左右されるため、常に容易ではありません。

そのため、個人が最良の選択をするためには、自分自身を知り、自己理解を深めることが大切です。
また、自分が最良の選択をするためには、他人とのコミュニケーションや協力、自分自身を信頼できる人間関係を築くことも重要です。

はい、ここまで↑の文章、わたしが書いものではありません。
ここからわたしが書きます。

今話題のChat GPT、つまり人工知能が書いた文章です。
わたしはこのAIにタイトルの「シンギュラリティが目前のこの世界で、我々人類は何を目指し、何を考え、何をして生きていけば良いのか?」という質問と、途中で「自分にとって最良の選択とは?」と追加質問しただけです。

シンギュラリティを日本語訳すると「特異点」となりますが
特異点とは、本来数学における用語であり、特に微分学や微分積分学で使われます。

現在一般的にに言われているシンギュラリティは、この数学用語の意味ではなく「技術的特異点」のことを意味します。

技術的特異点を簡単に言うと、今までには無かった技術が開発され、飛躍的に進歩を遂げるスタート地点のことをいいます。

この説を提唱したのは、アメリカのレイカーツワイル氏で、2045年にシンギュラリティが起こり、人工知能が飛躍的に進歩して人工知能が人間を超えると発表し物議を醸しました。

レイカーツワイル氏は、MIT出身の天才発明家で、IT業界ではとても有名な人物で、1982年にスティービーワンダーと組み、シンセサイザーを開発したのも有名です。

1990年に出版した「知的機械の時代」では、多くの未来技術の予測をして86%の的中率
そのレイカーツワイル氏が2005年の出版物「ポスト・ヒューマン誕生:コンピューターが人類の知性を超えるとき」で2045年に起きる技術的特異点を提唱し、世間一般に技術的特異点という概念を広めるきっかけを作りました。

わたしもこの2045年の技術的特異点を信じている1人でした。
あと20年ちょっとあるので、それまでに政治、経済はもちろん、人類の思考レベルも上がり
それはそれは理想郷の世界が出来上がると夢見ておりました。

しかし、ここ最近の人工知能のレベルアップをみていると、正直不安を感じ出しました。
2ヶ月前のレポートで紹介した自動画像生成AIなどもそうですが、数ヶ月前はもう過去でして、常に進化をしています。

ちょっとペース早くね?
このペースで技術ばかり進歩しても、社会が追いつかない。

そう感じる中、日本が誇る天才の落合陽一が先日いっておりました。

シンギュラリティは2025年にくる。

ありえる。
しかしこれは早すぎる。

まだ人類はエネルギー問題を解決出来ていないどころか、ベーシックインカムすら導入出来ていない。

冒頭の人工知能が書いた文章を読んでいただければ、何か感じていただけると思う。

現状ではまだ、あたかもそれっぽいことを書いてるだけだが、大きくズレてはいない。
もちろんこれも数ヶ月すれば、どうせまた大きな進化を遂げるのは目に見えている。

何よりすごいのが、そのスピード。
A4原稿1枚分が10秒かからずに、目の前で書かれていく。
これは一般人にはまず無理なスピード。

また、実は現状でも文章以外にプログラムも書ける。

一流の物書きや、一流のプログラマーよりは優れていないとしても、現時点で人類の平均能力は余裕でクリアしているといっても過言ではない。

これから数年で人類が準備できることとしたら
価値観の変化しかないかもしれない。

目的や結果や評価のための
学びも仕事も意味がなくなるというか勝ち目がない。

とにかく楽しむ。
これに尽きるかもしれない。

Just be hopeful