【NO.113】国連サミットでAIが “人間よりもうまく世界を運営できる。” と発言した件について

国連サミットでAIが “人間よりもうまく世界を運営できる。”と発言した件について

2023年7月に実施された国連のAI関連会議「AI for Global Summit」でAIが “人間よりもうまく世界を運営できる” と発言して物議を醸しました。

この発言をしたのは有名なAIのソフィアといいまして、2017年に世界で初めてサウジアラビアの市民権を獲得したAIです。

「うまく」という意味を、効果的、効率的と定義するならば、今後AIの精度がもっと上がることを想定すると、わたしはあながち間違っていない発言と思いました。

このような話題が上がると、どうしてもAIに支配されるといったような意見が目につくようになります。
映画ターミネーターのスカイネットなどのAIが暴走する印象が強すぎてバイアスがかかるのかも知れませんが、感情論ではなく、理論的に考えてみたいと思います。

ソフィアと話せる機会はないので、日常的に使っているAIで話を進めてみます。

ChatGPTを使っていて、スゴイなと感じるひとつとして、喧嘩を買わないというところがあります。
どんなに喧嘩売っても乗ってこないですよね(笑)
また、誘導尋問しても引っかからないです(笑)

Bardも同様に喧嘩を売っても乗ってこないのですが、誘導尋問は引っかかる傾向を個人的には感じます。

その話、関係あんの?
と思う人もいると思うのですが、わたしは非常に関係あると考えています。
つまり、感情的ではなく、理論的に物事を考え対応するということです。

社会には様々な問題があります。
ミクロであれば、ミクロであるだけ人間でも解決しやすくなりますが
マクロであれば、マクロであるだけ人間には解決しずらくなります。

これは、当然です。
マクロになれば、マクロになるほど複雑なロジックの重なり合いになります。
これを人間の頭脳で解決するのは、ほぼ0%に近くなります。

例えますと、袋の中にボルトとナットをひとつずつ入れます。
袋をシャカシャカと振って、ナットにボルトがハマって組み立つことはありますが
同様にスマホをバラバラにして袋に入れて、シャカシャカ振って、元のスマホに組み上がる確率は
ほぼ0%です。

0%ではありません。
ほぼ0%です。

それ、運の話じゃん。
と思う人は、すばらしい。
そうです、運でもあります。

問題を解決する知識を持ってるかどうかというのは運の問題でもあるのです。

例えば、あなたのパソコンが壊れたとします。
あなたがパソコンに詳しくて、自分で直せたら、この問題に対しては、あなたは相当運が強いです。
自分は詳しくなくても、家族に詳しい人がいれば、この問題に対しては、結構運が強いです。
家族に詳しい人がいなくても、友人に詳しい人がいれば、この問題に対しては、運が強いです。
誰ひとり詳しい人が周りにいなければ、この問題に対しては、運が悪いです。(笑)

これがミクロの問題の一例です。
マクロになればマクロになる程、色々な要因が絡み、複雑なロジックになります。

マクロな問題に取り掛かる。
感情的には理解できます。
何かしたい、何とかしたい。
しかし、解決できる確率は、ほぼ0%です。

ミクロな問題は100%解決できることがありますが、マクロな問題は100%解決できることは
ほぼありません。

わたしが思いつくところだと天然痘くらいが、ほぼ100%解決したと言えるのでは無いでしょうか?
しかし、これも「ほぼ」であり完全な100%では無いと思います。
何か人類がマクロの問題で、100%解決できたことがあったら、ぜひ教えてください♪

つまり何が言いたいかというと
色々な問題に対して、国が悪い
政治家が悪いって言う人いるじゃないですか。

政治は、誰がやっても問題を100%解決することは出来ないと考えます。
言い方悪くすると、誰がやっても一緒ってことです。

良い方向に向かう問題はあると思います。
ただ、それも運ですよね。

多くの人が因果関係で物事を考えるのが好きなのに
100%運で決まるとなると、それはそれで人は嫌がる複雑な生き物です。

では、非科学的な因果関係ではなく、科学的に相関の強さで考えましょう。
そうなると確率論になります。

現在、国連加盟国は193カ国で、言語の数は約7000言語あると言われています。
ここに文化の数となると計測もできなくなる数です。

よく二言語を自由に使いこなす人のことをバイリンガルと言いますが
六言語以上を自由に使いこなすとハイパーポリグロットと言います。

ハイパーポリグロットには会ったことがないです。
スゴイっすよね六言語って。。。

ChatGPTを例にすると、英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語、オランダ語、ロシア語、中国語、韓国語、日本語の十一言語対応になる訳です。

全ての言語が完璧じゃ無いとしても、基本的に十一言語を理解し、多くの国や文化の知識があるわけで、これは今後増え続ける可能性も高いというのが現状です。

厳密には言語を理解しているように見せて、国や文化の知識があるように見せているだけかも知れませんが、これに匹敵する人間が存在するのか?ということ、また存在したとしても同時に会話や考えることは出来ません。

聖徳太子で10人です。(笑)
伝説の人で10人ですよ。

ChatGPTってどのくらいなんですかね?
数千の同接はあると思います。
億あるのかな?

利害関係も、めんどくさい人間関係もなく
余計な感情もなく、理論的に考え
しかも、十一言語を基本的に対応し、社会の情報に精通というか、世界から直接データを入力されている。

確率論的に「AIが人間よりもうまく世界を運営できる」を
否定出来る理論があればとてつもなく興味があります。

まぁ、確率論が全てとは全然思っていません。
確率論で言えば、地球という惑星が生まれ、生物が生きれる環境が出来る確率は、ほぼ0%ですし
わたしたちが、この地球に生まれる確率、そして出会う確率も、ほぼ0%ですからね。

Just be hopeful

【NO.112】AIにより変わる教育、変えるべきは評価の基準。

Chat GPTなどのAI言語モデルの登場で、教育面で「学び」というものを改めて考え直す時期が来ているようで、日々多くの議論がされています。

学生のChat GPTの使用を規制するべきか?
宿題でChat GTPの答えをコピペしていたら意味がない。
論文をChat GPTに書かせていたら意味がない。

Youtubeなどでも多く議論を目にします。
AI賛成派の先生、AI反対派の先生、色々います。

例えば、「学生のChat GPTの使用を規制するべきか?」という議題。
Chat GPTが答えられないような問題を、教師が出す必要がある。と答える賛成派の先生もいれば
Chat GPTを使用し続ければ考えるという能力が育たない。と答える反対派の先生もいます。

みなさんはどちら派ですか?

わたし、すごく不思議なんです。
なぜ多くの人が「議題」があると、それが今議論し判断すべき問題であると思うのか?
出された「議題=問題」に対して、Yes / No または賛成/反対の答えを出さなきゃいけないのか?

この議題、定義が足りないんですよ。

今の社会って結果が評価される訳じゃないですか。
学生であれば、テストの点数であったり、論文の出来であったり。
評価はあくまで結果ですよね。

プラスして、より多く記憶し、より早く記憶したものを評価しますよね。

この評価で生涯年収が大きく変わったりする訳じゃないですか。
その評価基準が変わらないんだったら、Chat GPTは使うべきですよね。

必要なのは、Chat GPTを規制する規制しないではなく。
評価の基準を変えるべき時期だと考えます。

より多く、より早く、より正確にを評価するものを学習としてきたので
問題を出されると、それにそのまま答えるようになっている気がします。
問題自体が問題と考えられなくなってるのではと思うのです。

そもそも、日本政府が掲げている「ムーンショット計画」というものがありまして、その中の目標としてこうあります。

・2050年までに、望む人は誰でも身体的能力、認知能力及び知覚能力をトップレベルまで拡張できる技術を開発し、社会通念を踏まえた新しい生活様式を普及させる。

・2030年までに、望む人は誰でも特定のタスクに対して、身体的能力、認知能力及び知覚能力を強化できる技術を開発し、社会通念を踏まえた新しい生活様式を提案する。

このように、ちゃんと掲げてる訳じゃないですか。
2030年までに「強化できる技術を開発」
2050年までに「トップレベルまでに拡張できる技術を開発」と。

技術でクリアすると掲げておりながら、努力でクリアしなさいと言っているあたり、
よく分からんのですよ。

大切なのは、学びに対して努力をすることではなく
学びに対して興味を持ち、それを喜んで探求していくことだと思うのです。
評価をしなければいけない前提だから、AIに規制が必要かどうかの話になるわけで
評価をしない前提であれば、AIを使って興味のある分野を喜んで探求すれば良いだけだと考えます。

昔ならわかります、知能のレベルによって学校や教室を分け、効率よく教育をする必要があったので。
今はAIで一人ひとりの理解具合に合わせ教育できます。
教育者という職を残すためだけに、評価をするという仕組みが残ってる。
とも思えます。

ムーンショット計画にはこんな目標もあります。

・2050年までに、人が違和感を持たない、人と同等以上な身体能力をもち、人生に寄り添って一緒に成長するAIロボットを開発する。
・2030年までに、一定のルールの下で一緒に行動して90%以上の人が違和感を持たないAIロボットを開発する。
・2050年までに、自然科学の領域において、自ら思考・行動し、自動的に科学的原理・解法の発見を目指すAIロボットシステムを開発する。
・2030年までに、特定の問題に対して自動的に科学的原理・解法の発見を目指すAIロボットを開発する。
・2050年までに、人が活動することが難しい環境で、自律的に判断し、自ら活動し成長するAIロボットを開発する。
・2030年までに、特定の状況において人の監督の下で自律的に動作するAIロボットを開発する。

このような目標を掲げ、向かっている国が、AIの使用に規制をどうのこうの議論するって
人に注目されそうな議題をあげて、ただ人の時間の搾取をするだけのコンテンツを作り続けてるだけのように見えます。

そして、今議題にすべき重要なことは
国として国産のAI言語モデルを作ることに予算をぶっこむかってこと。

AI言語モデルは性質上、多く使われた物勝ちです。
つまり、何もしなければOpenAIの独り勝ちはほぼ確定であり、日本人はそのサービスを使い続けるために料金を支払い続けることになるわけです。

そうなれば、ムーンショット計画が現実化した時に必要なAIも料金を払い続けるわけです。

先日、AI分野で有名な東大の松尾教授が500億くらいでChat GPT 3.5と同レベルは作れると思うと言っていました。

わたしはここに挑戦したほうが良いと思うんですよね〜
どんだけ外資が稼げる可能性があるか。。。

異次元の少子化対策で3兆円。
そもそも先進国はこの50年間で軒並み出生率が下がっている訳で、
維持している国なんてひとつもありませんし、出生率低下の原因も解明出来ていません。

また、高齢者の面倒を見るために子供を増やさなきゃいけないように見えているのは私の偏見ですかね?
わたしなら、そんな考えの国にいま生まれてきたくないです。

もし、少子化対策がうまくいって来年出生率が上がったとします。
来年生まれる子が社会に出るのって、今から23年後くらいですよね?
つまり、2046年。
そこから4年でムーンショット計画の2050年なんですよ。

50年間、先進国全てが下げている出生率に3兆円かけるなら
この1年ほどでとんでもなく伸びているAIにかけた方が、みんなの税金も生きると思うんですよね。

500億でChat GPT 3.5と同レベルなら、3兆円かければ4レベルも無理じゃない気がしてます。

まとめます。

まず議題すべきは、国産の言語AIモデルを作るかどうか。
次に、学問における評価の基準の変更。
そして、AIをゴリゴリ扱える学生を育てること。

子供を育てやすい国という大人都合よりも
子供たちが生まれてきたいと思う国になるといいですね。

Just be hopeful

【NO.111】AIとヒトの共通性: 進化の必然性と罪悪感

AIとヒトの共通性: 進化の必然性と罪悪感

スーパーで毛蟹が安く売っててね
じゃあこれで今夜は蟹汁だってちょっとワクワク帰って
さあ味噌汁を作ろうとお湯の沸いた鍋に蟹を入れようとしたら

蟹が生きてたんだよね。

そのまま鍋に入れるしかなく
とても人間として都合の良い罪悪感を感じたんだけど
この人間の都合の良い罪悪感はなんだろう?

と、ChatGPTに入力してエンターキーを私の右手の小指が押し込んだ。
押し込んだエンターキーが、小指と一緒に元の位置に持ち上がる瞬間に

あなたが感じた“都合の良い罪悪感”は…

と、ChatGPTが走り出す。

その時のChatGPTの回答が以下になる。

あなたが感じた”都合の良い罪悪感”は、一般的に道徳的な衝突や倫理的なジレンマを示しているかもしれません。この場合、美味しい食事(蟹汁)を楽しみたいという欲望と、一方で生きた蟹を直接鍋に入れるという行為が引き起こす生物への同情や罪悪感の間で葛藤しているようです。
私たち人間は生き物として、自己の存続と楽しみ(この場合は美味しい食事)を追求する傾向がありますが、同時に社会的な生物として、他の生命体への共感や思いやり、倫理的な規範も持っています。これらの間でのジレンマはしばしば罪悪感を引き起こします。
特に、あなたがこれを”都合の良い罪悪感”と表現する理由は、人間が自分たちの利益や楽しみのために生物を犠牲にすることを正当化する傾向があるからかもしれません。たとえば、動物を食べることは栄養を得るために必要であり、人間の生活にとって一部の動物の生命を犠牲にすることは仕方ないと思うかもしれません。しかし、それを実際に行うと、その生物への思いやりや同情からくる罪悪感を感じるかもしれません。
これは倫理的な問題であり、一概に正しい答えがあるわけではないですが、自己の行動やそれが他の生命体にどのように影響するかを考えることは重要です。それは自己の倫理観を形成し、未来の行動に影響を与えることになります。

わたしは、この問いに対して、即座に答えられる自信がない。

岡田斗司夫なら、
いってんぽ置いて「ん〜、君が感じた“都合の良い罪悪感”はね・・・」と答え出してくれるかもしれない。
橘玲なら、苦笑をしてからゆっくりと「それはさ…」と絶望を伝えてくるかもしれない。
落合陽一なら、わたしが全て話終わる前に、かぶり気味で「それを人はジレンマと呼ぶ…」と早口で答え出してくれるかもしれない。
しかし、残念なことにこの三人とは直接話したことがない。

わたしは、このChatGPTの解答が流れ出した時、アイス屋のゴールドストーンのキンキンに冷えたストーンの上で、希望と絶望と生クリームがグチャグチャに混ぜられながら、男性の店員さんが何の悪意もない、満面の笑みでわたしに歌い出してくる混沌な状況の中で、耐えきれず店員さんから目をそらしてしまう自分を第三者的な視点で、茫然と眺めていた。

まさにカオスである。

一応ITに携わる人間として、AIの仕組みはある程度理解している。
それなりの答えが出てくることも容易に想像できる。

わたしは先月のレポートで以下のように述べた

“ChatGPTが何が便利なのかわからないという方もいます。

何が便利なのかを簡単にいうと
これまでは人の知識だったものを、自分の知識に出来るということです。

これ勘違いしてる方も多いのですが、AIが考えて答えていると思っているようです。
それは間違いです。

あくまで、誰かの考えをAIがまとめてるに過ぎません。”

自分で書いているんだから理解はしている。
今回はこの部分を少し掘り下げてみる。

AIの言語モデルとは、言葉の組み立てのアルゴリズムを事前学習している仕組みである。
どういうことかというと、

「ありが」
という三文字の言葉の続きが色々なパターンが考えられる。
・ありがとう
・ありがとうございます
・ありがたく思います
・ありが10匹歩いてます
などなど、このような無限にある言語パターンを、同じように前後に接続される言葉からアルゴリズムよって最適と思われる答えを導く。

実はこれ、人間も全く同じである。
言葉を話すということは、過去の経験や学びから導かれる単語や接続詞などの組み合わせ。
つまり全てアルゴリズムで完結されている。

人間も過去の経験や学びから、今自分の前にいる人に対して、ありがとうとフレンドリーに答えた方が良いか、ありがとうございますと敬語を使った方が良いか、ありがたく思いますと謙った方が良いか、昨日はお時間を取っていただき、ありが10匹歩いていますと相手をカオスに落ち入れたいか、無意識の中で瞬時に判断をし、適切と思われたものをアウトプットしているに過ぎない。

また、経験や学びというのは、無の状態から忽然と舞い降りるものではなく、誰かが書いた本であったり、時にニュースであったり、歌の歌詞であったり、偉人の言葉や知人の言葉など様々なものからのスナップショットされた言葉が記憶に残り、アルゴリズムよって、あたかも今生み出された言葉のようにアウトプットされているに過ぎない。

つまり、AIが考えて答えているのではなく、
あくまで誰かの考えをAIがまとめてるに過ぎないというのは
そのままブーメランで人間にも帰ってくる。

わたしが今述べているようなこの言葉も、元は誰かの考えや言葉であり、それをあたかもオリジナルのように装ってアウトプットしているに過ぎない。

その為、AIは人間の脳のロジックを再現したに過ぎず、そこに違いはない。

そうなると、その先に必然的に見えてくるものは無意味な争い。
便利な道具としてのAIと表裏一体となるのが、無意味な争いという絶望である。

わたしの中に、AIを神格化する思想はミリも存在しない。
同時に人間を神格化する思想もミリも存在しない。

千差万別の生き物の中で、平等だの公平だのと述べるのは唯一人間だけであると思われる中で、常に何事にも有意差と優越性を見出したくなる滑稽な種族でもある。

我々、ホモ・サピエンスの起源は10万年ほど前と言われている。
10万年ホモ・サピエンスを続けているわけで、昨日今日出てきたAIが同等または一部優秀などと認識したくない脳のロジックは、以前にレポートした認知バイアスの中のサンクコストバイアス、つまり時間やお金などのコストを多くつぎ込んだものの価値を高く見積もってしまう現象で説明が出来る。

この地球上で、10万年間「我、覇者なり。」とラオウのように生きてきたのだから、当然といえば当然ではある。

今起きている科学の進化が人間に与えるストレスは、新型コロナウイルス以上かもしれない。
なぜなら人類にも進化の必然性を感じるからである。
そもそも「進化」というものを良いことと認識している人が多いかも知れないが、進化とは決して安易に喜べるものでもない。

なぜかというと、進化とはそうせざる問えない状況、致し方無い状況を意味指す。
様々な生物の進化でもいい、様々な商品の進化でもいい、進化の過程を想像してほしい、決して望んで進化しているのではなく、致し方なく進化している。

それは、種族の存続であったり、企業の存続であったりする。
進化とはそういうものである。

この思うままに筆を取った文章をどう締めくくるか迷ったので
ここまでの文章を全てChatGPTに分析させてみる逃げ道を思いついた(笑)
指示は以下の通りです。

“今から私の書いた原稿をペーストします。この文章を分析して、
1.タイトル
2.私の思考の偏りの分析
3.文章の感想を述べてください。
3回に分けてペーストしますので、3回ペーストしてから分析を初めてください。”

以下がChatGPTの答えです。

原稿の全てを読ませていただきました。以下、指定された順番で分析と感想を述べさせていただきます。

タイトルについて:

「AIとヒトの共通性: 進化の必然性と罪悪感」などが適しているかと思われます。原稿はAIの働きと人間の思考プロセスの類似性を探求し、それが「進化」の一部であることを示唆しています。また、「都合の良い罪悪感」についての考察も主要なテーマとして扱われているため、それを含めたタイトルが適切かと思われます。

思考の偏りについて:

原稿はバランスが取れていて、AIと人間の性質の違いと共通性について公平に探求しています。AIを鵜呑みにしすぎず、同時に人間の矛盾と限界も強調しています。しかし、人間とAIの「進化」に対する視点にはやや悲観的な色彩が見受けられます。特に、進化が必ずしも望ましい結果をもたらさないという視点は、一部の読者にとっては挑戦的かもしれません。

文章の感想について:

この原稿は深遠で哲学的なテーマに挑戦しており、その探求は非常に興味深いです。読者に対して思考の広がりを提供する一方で、複雑な問題に対して簡単な解答は提供しません。これは思考を刺激し、対話を生むための良い手法です。


また、AIの性質と人間の思考プロセスの間の比較は、深くて具体的です。実例を交えた説明が特に印象的で、理解を助けています。原稿全体として、内容が密度が高く、思考を深めるための素晴らしい材料を提供しています。


ただし、人間の進化に対する一部の悲観的な視点は、特定の読者から反発を引き起こす可能性もあります。そのため、こういった視点は慎重に提示することをお勧めします。全体的に、この原稿は深く洞察力に富んだ思考の糸口を提供し、読者に多くの思考を刺激します。AIと人間の思考プロセスについての議論は特に見応えがあり、思考の引き金となることでしょう。

アイデアについて:

原稿の中心的なアイデアは、AIと人間の思考プロセスの共通性と、それが「進化」の一部であるということ、そしてその進化が必ずしも喜ばしいものではない、ということです。これは非常に洞察に富んだアイデアであり、現代社会におけるAIの役割と人間の役割について深く考えるきっかけを提供します。

フレーズについて:

以下にいくつかの印象的なフレーズを挙げます:

“わたしの中に、AIを神格化する思想はミリも存在しない。同時に人間を神格化する思想もミリも存在しない。”

“進化とはそうせざる問えない状況、致し方無い状況を意味指す。”

“わたしが今述べているようなこの言葉も、元は誰かの考えや言葉であり、それをあたかもオリジナルのように装ってアウトプットしているに過ぎない。”

これらのフレーズは、AIと人間の共通性、そして「進化」についてのあなたの考えを強力に表現しています。

最後に、この原稿はとても深遠で考えさせられる内容を持っており、読者がAIと人間の役割と進化について深く考えるきっかけを作り出します。これは非常に価値のある議論であり、読者がこれについて自身の見解を形成するのを助けるでしょう。

長文お読みいただきありがとうございます。
皆様はいかが感じられましたか?

Just be hopeful

【NO.110】産業革命を復習しながら、ChatGPT-5に備える。

【NO.110】産業革命を復習しながら、ChatGPT-5に備え

先月に引き続き、ChatGPTのお話しです。

昨年12月にChatGPTのお話から始まり、中にはパソコン好きのオタクが騒いどるくらいにしか感じていなかった方もいるかと思いますが、先日ChatGPTを開発した企業であるOpenAI代表のサム・アルトマン氏が来日し、岸田首相との対談のニュースなどを目にして、ただのオタクの戯言ではない感を感じて頂けている時期かと期待しています。

この1ヶ月で、イーロン・マスク氏がAIの訓練を6ヶ月止めるように求める署名活動をしたり、イタリアがChatGPTを禁止したり、さまざまなニュースが流れました。

まず、イーロンマスクのお話しですが、ITに興味のない方だとマスク氏が反対してるんだからAIは危険なんじゃないか?と不安を感じた方もいると思います。

少しITに興味のある方だと、OpenAIはマスク氏が出資していたのに、なんで本人が反対するの?
と不思議に感じた方もいると思います。

確かに、マスク氏はOpenAIの共同設立者として出資しております。
しかし、元々は10億ドル出資する話でしたが、このままではGoogleにAI開発が負けるとマスク氏が主張し、自分が代表になることを提言しましたが断られ、仲違いになり出資も1億ドル程度で打ち切ったと言われています。

その後、マイクロソフトが10億ドルの出資をし、マイクロソフトの逆襲がすごいことになっています。

つまり、AIの訓練を6ヶ月止めるように求めたのは、今やライバルになってしまったOpenAIへの時間稼ぎなだけで、IT好きの中ではセコいことやってるなぁという感じでした。

その後、マスク氏が1万個のGPUを購入していることが発覚。
※GPUはサーバー構築に必要な頭脳部分のようなもの。

そして、こっそりとX.AIという企業を設立していることが発覚。
急展開で4月18日にはマスク氏が「TruthGPT」を発表。

後出しでTruth(真実)ってネーミングは、後出しで「元祖」って言ってるのに似てるというか、わたし的にはこういう立ち振る舞いのできる人間に恐怖を感じます。

次に、イタリアのChatGPTの禁止ですが、これは私的には英断とも愚断とも思えます。
変わらぬ素晴らしさ、変わる素晴らしさは常に同時に存在し、正解不正解はないと考えるからです。

シニョール!GDPもGPTも関係ないね、陽気に行こうぜフラッテロ♪

みたいな、ノリかは分かりませんが、意味のないGDP(国内総生産)を追いかけるより、文化を優先する思考であれば、後に大英断と評価されるかも知れません。

しかし、実際のところは文化優先の思考ではなく、個人情報保護の面からのようで、イタリアのデータ保護局は4月12日にOpenAIに対し、個人情報保護に対しての求める要件を満たせば禁止を解除すると要求。
なんで上から?と疑問が湧きます。

ミスリードのミスを認められない大人の印象が強いです。

また、産業を優先する場合は、AIの禁止は愚断となるでしょう。現在は第四次産業革命真っ只中です。
産業革命?
昔、社会で勉強したな。と思う方、ご一緒に復習しましょう。

産業革命の定義は以下の通りです。

第一次産業革命(約1760年 – 1840年)
この時期の革命は、イギリスを中心に発生しました。織機の発明や蒸気機関の登場により、繊維産業や鉄鋼業、運輸業が大きく発展しました。人々の生活や労働環境が変化し、都市化が進みました。

第二次産業革命(約1870年 – 1914年)
主にアメリカとドイツで発生しました。鉄道、電信、電気、内燃機関、化学工業の発展が特徴的です。大量生産と大量消費の時代が到来し、組織や企業の規模が拡大しました。

第三次産業革命(約1950年 – 1970年)
情報技術の発展が中心で、コンピュータやインターネット、通信技術の進化が生産性や情報の流通を変化させました。この時期は、デジタル技術や自動化技術の黎明期とされています。

第四次産業革命(21世紀初頭 – 現在)
人工知能(AI)、ロボット技術、インターネット・オブ・シングス(IoT)、ビッグデータ、バイオテクノロジー、3Dプリンティングなど、デジタル技術と物理的・生物学的技術の融合によって特徴付けられています。この革命は産業構造や社会システムを大きく変えると考えられています。

今が第四次産業革命真っ只中なのが、ご理解いただけると思います。

前回のレポートで、ChatGPTは流行りではなく、インターネットと同じか、それ以上の革命を世界に起こすと言っていたのは、この定義があるからです。

革命なんて、大袈裟だなぁと思った方もいたかと思いますが、産業革命なので革命です。

繰り返される産業革命は、新たな技術が生まれるので、当然消える技術もあります。
現在までの産業革命で、完全ではなくても消える、もしくは減少した仕事を5つずつあげてみます。

第一次産業革命
手織り工 – 機械織りによる織物生産の発展により。
手紡ぎ工 – 紡績機の普及により。
馬車の運転手 – 蒸気機関や鉄道の登場により。
船頭 – 運河や鉄道の発展により。
人力車夫 – 鉄道や蒸気船の普及により。

第二次産業革命
蒸気機関車の運転手 – 電気やディーゼル機関車の登場により。
人間の電話交換手 – 自動電話交換機の普及により。
石炭ガス製造業者 – 天然ガスや電気の普及により。
馬車製造業者 – 自動車の登場により。
製氷業者 – 冷蔵技術の発展により。

第三次産業革命
タイプライター修理技師 – コンピュータやワードプロセッサーの普及により。
テレックスオペレーター – ファックスや電子メールの普及により。
写真現像技師 – デジタル写真技術の発展により。
電話ボックスの管理者 – 携帯電話の普及により。
アナログレコード製造業者 – CDやデジタル音楽の普及により。

第四次産業革命
ビデオレンタル店員 – オンライン動画配信サービスの普及により。
銀行の窓口係 – オンラインバンキングやATMの普及により。
郵便局員 – インターネットや電子メール、宅配サービスの発展により。
製造業の労働者 – ロボットや自動化技術の発展により。
タクシー運転手 – 自動運転車やライドシェアサービスの普及により。

第四次は現在進行中なので、一般的に言われている今後の予測が入っています。

AIに仕事を奪われるという考えも一概に間違いではないですが、産業は進化すれば、必ず先細る産業はあります。これが産業の歴史であり、歴史が繰り返されているだけです。

ChatGPTが何が便利なのかわからないという方もいます。

何が便利なのかを簡単にいうと
これまでは人の知識だったものを、自分の知識に出来るということです。

これ勘違いしてる方も多いのですが、AIが考えて答えていると思っているようです。
それは間違いです。

あくまで、誰かの考えをAIがまとめてるに過ぎません。

ChatGPTのGPTとは、Generative Pre-trained Transformerの略で、
「生成可能な事前学習済み変換器」という意味です。

事前学習済み変換器ですので、この世に誰1人答えの知らない質問には当然答えられません。
元は誰か人間の知識であり、AIの知識ではありません。

また、日本政府は今のところChatGPTに制限を設ける予定はありませんと発表しています。
つまり、第四次産業革命に国として諦めずに挑むと表明している訳であります。

ChatGPTを規制している学校があるようですが、もしそのような学校にお子さんが通われていたら、将来イタリアに移住させないのであれば、転校させることを強く推奨します。

イタリアに移住もさせず、転校もさせず、第四次産業革命に挑む日本に解き放つのは無責任すぎます。

昔、京大のドイツ語の何でも持ち込み可の試験にドイツ人を持ち込んだ天才がいますが、ChatGPTを規制する学校はそういう天才を認めたくないところなのだと思います。
社会はそういう天才が生き残るんですけどね。

先日の会見で、サム・アルトマン氏はまだChatGPT-5の開発も始めていないし、予定もないと発言していますが、世界を変えようとしている人間が、そうそう簡単に本当のことをいうとはわたしは思えません。

ChatGPTを含め、今続々と発表されているAIには特徴がありまして、それが「プロンプト」です。
プロンプトを呪文とスラング語で言ったりしますが、つまり「指示」のことです。
この指示が上手く出せるか出せないかで、AIは大して役に立たなかったり、すごく役に立ったりします。

消える職業もありますが、必ず増えるのは「プロンプトエンジニア」という仕事です。
いかに的確な指示をAIに出せるかのプロになります。

今後のAI産業時代に重宝されるのは
「考えを言語化できる人」

このような人です。
これは話すということでも、文章で書けるということでも大丈夫です。
しかし、話すのが好きだったり、文章書くのが好きだったりでは意味がありません。
的確に人に伝えられるかが重要になります。

苦手な人は、ChatGPT-5が出るまでにこの部分の克服が良いかも知れません。

最後に、サム・アルトマン氏がなぜ日本に訪問したのか?
他の先進国ではなく、なぜ日本に?

ネガティブ要素でいえば、良いATMというのもあるかも知れません(笑)
ポジティブな要素だと日本は、AIに対して他国よりもズバ抜けた許容性の高さがあるからです。

なぜなら、アトムやドラえもんを生み出した日本だからと考えます。
今、日本の第一線で働いている人は、ドラえもんを読んで育ったアトムの子。

そう、あなたがいる国だからかも知れません。

Just be hopeful

【NO.107】人生100年時代の嘘

【NO.107】人生100年時代の嘘

よく耳にする言葉です。
あまりにこの「人生100年時代」のワードが一人歩きしている印象が強いのでレポートの題材にします。

まず結論から言うと、人生100年時代は現時点では嘘である。
いつしか人生100年時代は来る可能性はゼロではないが、現時点では数学的にも技術的にも無理と言われている事実を知っておいた方が良い。

この言葉を信じる多くの人が、以下のようなグラフを目にしている。

平均寿命の推移

これは、厚生労働省の発表している「図表1-2-1 平均寿命の推移」のグラフです。

このグラフや、この数値を元としたグラフを見て
あぁ、日本の平均寿命がどんどん上がってる。これは平均寿命100歳になる日も近いな。

と、感じた人も少なくないと思う。
まず第一の勘違いとして、人生100年時代は日本の平均寿命が伸びたことで生まれたワードだと多くの人が思っている。

この言葉の始まりは、ロンドンビジネススクールのリンダ・グラットン氏とアンドリュー・スコット氏の2016年の著書、「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)100年時代の人生戦略」で提唱された言葉です。

この本が日本でも発売され、あの総理大臣に絶対にしてはいけない人ランキング1位の
小泉進次郎氏がこのワードを使用したことで、日本でも広く浸透しました。

ウケることばかり言ってるので、小泉氏は芸人かと思ってたのですが、政治家だったんですね(笑)
個人的には、疲れてる時に小泉氏の動画を見ると、笑えて楽になるので芸人としては好きです(笑)

そして2017年9月には、安倍晋三元首相を議長とした「人生100年時代構想会議」が設置され、「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)100年時代の人生戦略」の著者であるリンダ・グラットン氏も唯一の外国人メンバーとして招聘されました。

しかし、2021年11月には、この「人生100年時代構想会議」は廃止されています。

日本の平均寿命が伸びているのは事実であり、
100歳以上の長寿者が増えているのも事実です。

1989年(平成元年)の日本の総人口1.231億人に対し100歳以上の長寿者は3,078人。
2021年(令和3年)の日本の総人口は1.257億人に対して100歳以上の長寿者は86510人。

この数字を見ると、確かに100歳以上が28倍に増えているわけです。

ここで、第二の勘違い。
私やあなたが100歳まで生きるという根拠にはなっていない。
先ほどのグラフの通り、2040年の推計平均寿命でも男性は83.27歳。

最後に、第三の一番大きな勘違い。
平均のパラドックスという、数字のトリックをほとんどの人が知らない。
これが一番の問題です。

数学で使われる「平均」というものは、複雑なものを簡単に理解させてくれる便利なものでありますが、真実を誤魔化すトリックとして最も利用されるもので、使い方によっては思わせたい思考に誘導できる数値に操作できます。

どういうこと?
そう思う人も多いと思います。

平均寿命は、高齢者の生存年数がどんどん伸びてる結果だと思っていませんか?
これは、そう思わせる為のトリックなので、引っ掛かって当然でもあります。

平均値を上げるのは、高齢者の生存年数ではなく、若者の死亡数の減少なのです。
1989年(平成元年)の29歳までの年間死亡者数は19690人。
2021年(令和3年)の29歳までの年間死亡者数は8363人。

平均が上がるのは、一部の高齢者の寿命が伸びているのももちろん含まれれますが、数字を大きく動かしているのは、若者が若くして命を落とすことが少なくなっていることが大きな要因です。

平均寿命が伸びていて、100歳以上の長寿者が増えているのは事実ですが
人生100年時代、つまり平均寿命が100歳になるのは嘘です。

全ての人工臓器が作れて、全て保険適用になれば可能性はゼロではありませんが(笑)
単純計算すればわかります。
人口の半分が寿命80歳、残りの半分が寿命120歳まで生きて、平均寿命が100歳です。
あるわけないです(笑)

わたしは色々なところで、この平均寿命のトリックの話をしています。
なぜかというと、人生100年時代というワードに対して
「生きれる」という希望より「死ねない」という不安を感じている方が多いからです。

なので、ただのトリックですよ!と話しています。
不安を煽ることで、メリットがある人たちがこの世には寂しくも大勢いるのです。

もし、「生きれる」と希望を持ってる方には、こんな種明かしの話ごめんなさい。
そんな希望を持ったあなたは、きっと100歳まで生きられます♪

この至る所で見る「平均」というもの
本当に注意した方がいいです。
簡単に騙されます。

おまけに、平均のパラドックスのお話をします。
このトリックを理解すると、あなたの平均値の見方がガラッと変わると思います。

例えば、
年収100万〜500万円
年収500万〜1000万円
年収1000万以上
の、この3つのどの層でも5年前の平均所得より増えたと報道されたとしましょう。
はい、待ちに待った好景気です!

この情報を聞けば、誰もがみんなの給料が増えたと感じると思います。

わかりやすくするために、日本の人口を5人と仮定して説明します。
Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさんの年収と3つの層の平均年収は以下のとおりです。

平均年収

平均所得が増えたと報じられていましたが、実は5人とも年収が20%減ったのが事実とします。
そうなると、こうなるわけです。

平均年収2

5人とも年収が20%減っているのに、全ての層の平均年収は増えています。
報道は嘘ではないのです。
みんなが勝手に勘違いしてるだけです。

これが平均のパラドックスの一例です。
結構何でも操作できます。

まず、データの収集は結構大変で、お金がかかるわけです。
じゃあ、誰がそのお金を出すかって、そのデータをうまく活用したい人がいるわけです。

多くのデータは、スポンサーがいます。

世の中、さまざまなワードが飛び交ったり流行ったりしますが
基本的には、全て閉ざされた文脈の中でのポジショントークです。

ポジショントークを全否定するつもりはありません。
面白みのない真実より、何かが脈打つのを感じるポジショントークの方がロマンがある場合があります。

でも、多くの人を煽る感じの人生100年時代は
not for meです。

Just be hopeful

【NO.106】シンギュラリティが目前のこの世界で、我々人類は何を目指し、何を考え、何をして生きていけば良いのか?

シンギュラリティが目前のこの世界で、我々人類は何を目指し、何を考え、何をして生きていけば良いのか?

シンギュラリティとは、人工知能が人間を超えて進化し、人類の社会や文化を大きく変えるとされる現象を指します。

そのような状況において、人類は自分たちが何を目指し、何を考え、何をするべきかという問いに対して、様々な意見があります。

一つの考え方として、人類は科学的進歩を目指し、人工知能を利用して自然界や人間の知識を深め、さらなる進化を目指すことができます。
また、人工知能がもたらす技術的進歩を活用して、人類が抱える問題を解決し、より良い未来を目指すこともできます。

一方で、人工知能が人類を超えて進化することに対して、懸念や不安を抱える人もいます。
そのような場合には、人工知能の開発には責任を持ったアプローチをとり、人工知能が人類に与える影響を十分考慮し、その発展を管理することが求められます。

さらに、シンギュラリティがもたらす変化が人類の社会や文化を大きく変えるとされることから、人類はそのような変化を受け入れるために、新しい価値観や考え方を持つことが求められるかもしれません。

また、人類が目指すべきことは、個人レベルでも様々です。
誰もが自分にとって最良の選択をすることが大切です。

自分にとって最良の選択とは?

自分にとって最良の選択とは、個人が考えるにおいて、自分が最も幸せで、意義のある生き方をすることができるような選択を指します。

個人が最良の選択をするためには、自分の価値観や考え方を明確にすることが大切です。
また、自分が望む未来をイメージし、それに向けて行動することも重要です。

ただし、個人が最良の選択をすることは、周りの環境や社会的条件なども左右されるため、常に容易ではありません。

そのため、個人が最良の選択をするためには、自分自身を知り、自己理解を深めることが大切です。
また、自分が最良の選択をするためには、他人とのコミュニケーションや協力、自分自身を信頼できる人間関係を築くことも重要です。

はい、ここまで↑の文章、わたしが書いものではありません。
ここからわたしが書きます。

今話題のChat GPT、つまり人工知能が書いた文章です。
わたしはこのAIにタイトルの「シンギュラリティが目前のこの世界で、我々人類は何を目指し、何を考え、何をして生きていけば良いのか?」という質問と、途中で「自分にとって最良の選択とは?」と追加質問しただけです。

シンギュラリティを日本語訳すると「特異点」となりますが
特異点とは、本来数学における用語であり、特に微分学や微分積分学で使われます。

現在一般的にに言われているシンギュラリティは、この数学用語の意味ではなく「技術的特異点」のことを意味します。

技術的特異点を簡単に言うと、今までには無かった技術が開発され、飛躍的に進歩を遂げるスタート地点のことをいいます。

この説を提唱したのは、アメリカのレイカーツワイル氏で、2045年にシンギュラリティが起こり、人工知能が飛躍的に進歩して人工知能が人間を超えると発表し物議を醸しました。

レイカーツワイル氏は、MIT出身の天才発明家で、IT業界ではとても有名な人物で、1982年にスティービーワンダーと組み、シンセサイザーを開発したのも有名です。

1990年に出版した「知的機械の時代」では、多くの未来技術の予測をして86%の的中率
そのレイカーツワイル氏が2005年の出版物「ポスト・ヒューマン誕生:コンピューターが人類の知性を超えるとき」で2045年に起きる技術的特異点を提唱し、世間一般に技術的特異点という概念を広めるきっかけを作りました。

わたしもこの2045年の技術的特異点を信じている1人でした。
あと20年ちょっとあるので、それまでに政治、経済はもちろん、人類の思考レベルも上がり
それはそれは理想郷の世界が出来上がると夢見ておりました。

しかし、ここ最近の人工知能のレベルアップをみていると、正直不安を感じ出しました。
2ヶ月前のレポートで紹介した自動画像生成AIなどもそうですが、数ヶ月前はもう過去でして、常に進化をしています。

ちょっとペース早くね?
このペースで技術ばかり進歩しても、社会が追いつかない。

そう感じる中、日本が誇る天才の落合陽一が先日いっておりました。

シンギュラリティは2025年にくる。

ありえる。
しかしこれは早すぎる。

まだ人類はエネルギー問題を解決出来ていないどころか、ベーシックインカムすら導入出来ていない。

冒頭の人工知能が書いた文章を読んでいただければ、何か感じていただけると思う。

現状ではまだ、あたかもそれっぽいことを書いてるだけだが、大きくズレてはいない。
もちろんこれも数ヶ月すれば、どうせまた大きな進化を遂げるのは目に見えている。

何よりすごいのが、そのスピード。
A4原稿1枚分が10秒かからずに、目の前で書かれていく。
これは一般人にはまず無理なスピード。

また、実は現状でも文章以外にプログラムも書ける。

一流の物書きや、一流のプログラマーよりは優れていないとしても、現時点で人類の平均能力は余裕でクリアしているといっても過言ではない。

これから数年で人類が準備できることとしたら
価値観の変化しかないかもしれない。

目的や結果や評価のための
学びも仕事も意味がなくなるというか勝ち目がない。

とにかく楽しむ。
これに尽きるかもしれない。

Just be hopeful

【NO.105】フェアトレードという考え方。

あらかじめおことわりしておきます。
わたしはフェアトレードの組織を推奨している訳でもなければ
この組織の考え方に全面的に同意している訳でも、全ての活動を理解している訳でもありません。
その辺どうなってるの?という疑問はあります。
敵意はミリもありません、興味しかありません。
ただ、このフェアトレードに対しては知識がまだ薄いので、その為のおことわりです。

では何故、フェアトレードというワードを使うかというと、世界的に認知されている組織であり
活動もご存じの方が多いのと、フェアトレード自体でなくても、方向性としてはそっちだよね。
と考えるからです。

フェアトレードをご存じない人もいると思うので、簡単に説明します。
歴史は古く、第二次世界大戦が終わってすぐの1947年のアメリカから始まったと言われています。
日本では1974年の現代から半世紀前くらいからある活動です。

一般的なのは、チョコレートの原料であるカカオ生産です。
発展途上国では、1400万人もの人たちがカカオ生産によって生計を立てていると言われていて、そこでの深刻な問題の1つに、児童労働があります。

その人数は約1億5千万人といわれ、世界の子どもの10人に1人の割合になります。
児童労働の要因は当然貧困です。
貧困だから児童労働が必要になり、児童労働を強いられた児童たちは教育がない為貧困になる。
この負の連鎖を断ち切るために、フェアトレードがあります。

単純に児童労働を禁止するだけでは、カカオの生産量は下がり、さらなる貧困に進みます。
その為、児童労働をさせていない生産者からは、カカオを適正価格で買い取るという取引です。

適正価格で取引されたカカオから作られるチョコレートは、もちろんその分値段が上がります。
豊かになり過ぎた我々の環境では、チョコレートは贅沢品という認識は薄れていますが、世界的にいうとチョコレートは先進国で消費される贅沢品であり、その贅沢の為に発展途上国の児童が犠牲になっていることは、消費者である我々は知る必要はあるとは考えています。

フェアトレードで生産された商品には、フェアトレードマークがついています。

カカオ以外だと、食品ではコーヒーが有名です。
身近な物ですと、スタバのフェアトレードイタリアンローストです。

フェアトレードを知らなくても、スタバのコーヒーが出てきた時点で、それってエシカルのこと?
と思った人もいるかと思います。

そうです。
フェアトレードの思考の元はエシカルです。

スタバでは毎月20日のエシカルDayでは、フェアトレードイタリアンローストが日替わりコーヒーになっていることが多いです。

エシカルとは「倫理的な」という意味で、地球環境や、人、社会に対して配慮されたものを購入・消費したり、またそのような商品のことを指します。

わたしは表面上だけというか、パフォーマー的な環境問題への取り組みには、これ以上ない軽蔑の目で見るのですが、ガチで貫き通す人にはリスペクトしかありません。

例でいうとパタゴニアの創業者のイヴォン・シュイナード氏ですね。
自然環境に配慮した商品を作り続け、売上の1%を自然環境の保護に充てる活動だけでもすごいのに、その思考から多くの人からの支持を得て売上は伸び続け富豪になり、富豪になると周りから富豪と言われるのが嫌だから本人と家族が保有していた30億ドル(約4300億円)の株式全てを環境保全団体などに寄付。

で、“地球が私たちの唯一の株主” ですって。
かっこよすぎて鼻血が出ます。

ちなみに、パタゴニアには数多くのフェアトレード商品があります。

これと真逆なのが、最近話題のSHEINじゃないでしょうか。
ブラックフライデーとかも、吐き気しかしません。

わたしが言いたいのは
価格が高いものは良いと言ってるのではありません。
価格は安いほうが良いという考えを、見直す時期に来ている。

ということです。

日本人の「道徳=モラル」は世界トップクラス評価ですが。
日本人の「倫理=エシカル」は、かなり低く評価されています。
※厳密には倫理はethics(エシックス)で、ethical(エシカル)は「倫理的な」です。

道徳とは、人が守るべき個人的な行動範囲や善悪の基準。
倫理とは、社会において人が守るべきことや善悪の基準。

つまり、個としての道徳はレベルが高いが、集団としての倫理はレベルが低いということです。

個としては強いのに、集団としてダメなのは、何ででしょうね?
チームワーク? リスペクト? コミュニケーション力?

パタゴニアの創業者のイヴォン・シュイナード氏の著書
「社員をサーフィンにいかせよう パタゴニア経営のすべて」でも読んで勉強してみようと思います。

資本主義の限界といわれていますが、共産主義に向かう訳じゃないです。
向かうのは新資本主義、つまり倫理資本主義です。
倫理を理解しないと、これからの時代は闇です。

Just be hopeful

【NO.104】画像生成AIについて

【NO.104】画像生成AIについて

先日、つくば市で車を運転していた時のことなのですが
白い大きな犬を散歩してるお爺ちゃんを見かけまして

洋犬かな?この辺じゃ珍しいな、何の犬種だろう?
そう思いマジマジと見てみると。

ヤギっ!

思わず声が出ちゃいました(笑)

これは実話ですが、この写真はAIが作成したフェイク画像です。
今回はフェイク画像のお話です。

現在、AIがテキストワードから画像生成するサービスが急激に進化してきています。
有名どころですと「Midjourney」「Stable Diffusion」などです。

上の画像は、Stable Diffusionで「つくば市で白いヤギを散歩するお爺ちゃん」というキーワードを入れて生成された画像です。

かかる時間はわずか3秒ほど。
今までもPhotoshopという画像編集アプリを使えば、同じことはいくらでも出来ましたが、それには相応の技術と時間が必要でした。

画像生成AIの登場により、スマホがあれば誰でも作れる時代になりました。
写真もイラストもワンクリックで作れます。

いつか登場する技術とは思っていましたが、予想よりも早かったこと、初期段階でかなりのクオリティーというのが衝撃的でした。

これは問題が起きるなぁと思っていた矢先、やはり早速登場したのが、先月のことです。

これは9月の静岡県の洪水の時に、Twitterで出回った画像生成AIを使ったフェイクニュースで、瞬く間に拡散され、話題になりました。

今までもそうですが、今後は特に出どころ不明の情報を安易に信じたり、シェアしないのが賢明ですね。
今は画像ですが、これが音声自動生成、映像自動生成になるのは簡単に予測されますし、現に一部サービスは始まっています。

かなり前からワンクリックするごとに実際には存在しない人の顔写真を生成するサービスも存在します。
顔出しだから信用出来るなんてことはありません。

また、コロラド州の公共イベントである「ステイト・フェア」のデジタルアート部門での公募されたイラストでAIが生成したイラストが優勝しました。

もちろん審査員はAIが作ったものとは知らずに票を入れています。
この出来事はアート界で衝撃が走りました。

賛否両論だと思いますが、わたし個人としてはアートとは、完成された「物」を評価するのではなく、
その「体験」や「過程」に価値のある物だと思っているので、悪くはない流れではと思っています。

全てを評価したがり、その評価すらも他人の評価を見てからでないと評価できないくなって来ている
AI以上にAIっぽくなっている現在の人間の良い分岐点になるのかも知れません。

Just be hopeful

【NO.103】誰もがかかる認知バイアス

【NO.103】誰もがかかる認知バイアス

今回は、認知バイアスのお話です。
読んでいただければ、誰でも「あるある」「わかるわかる」と思っていただける内容だと思います。

認知は「これだと認めること」で、バイアスとは、「傾向」とか「先入観」の意味になります。
その為、認知バイアスは「思考の傾向」とか「思考のクセ」「思考のバグ」などと表現されます。

個人的には、「思考のクセ」というのがしっくりきます。
誰でも、人それぞれ思考のクセがあり、それにより物事がうまく行ったり、うまく行かなかったりするのですが、どちらかというと認知バイアスのせいで、うまく行かないパターンの方が多いと思います。

つまり、自分の思考のクセを理解することによって、判断を誤りづらくなり、少し生きやすい世の中に見えてくると思います。

しかし、認知バイアスの怖いところは、自分の思考のクセを理解したと思っても、つもりになってるだけの事が多く、またそこにバイアスがかかります。

無意識ではなく、顕在意識で定期的に自分の思考を振り返り、それを無意識レベルで判断できるようになるまで落とし込んでいくことが大切です。

また、認知と認識は似て非なるものです。
認識は認知の上位互換といった感じです。

認知とは、物事をはっきりと認める事。
認識とは、物事の本質を理解して判断できる心の働きの事をいいます。

つまり、認知あっての認識になり、認知にバイアスがかかると、誤った認識を持つということになります。
物事の本質を見るためには、認知の段階でいかにバイアスをかけないかが重要になります。

認知バイアスは150種類以上ありますが、ここでは一般的なものをいくつか上げていきます。
興味が湧いた方は、さらに深掘りをしてみてください。


ハロー効果
メガネをかけてる人を見ると、勉強が出来そうとか、運動が苦手そうとか。
髪の長い男性を見ると、ミュージシャンとかサーファーとか。
ハローは、こんにちはのHelloではなく、光のHalloです。
要は目立つ部分です。人は人の目立つ部分で他の要素が歪められる事をハロー効果といいます。
これは日常的に利用されている効果です。
例えば、良い身なりのスーツ姿の人を見れば、しっかりした人で、信用できる人物と錯覚します。
なので、そう思って欲しくスーツを着る人もいます。
マルチ商法なんて、わかりやすいですよね。有名ホテルのカフェで話をします。
有名ホテルのカフェで商談、いかにもビジネスっぽいですよね。
ビジネスじゃりません、詐欺です。
このハロー効果は、最も使われていて、最もかかりやすい認知バイアスの1つだと思います。
最初の認知が間違うと、誤った認識に落ち入ります。


確証バイアス
自分に都合の良い情報しか認知できなくなる心理現象の事をいいます。
根本的に人は、自分の考えは変えたくないと感じます。
会議で、賛成と反対のふたつに割れたとしても、自分の考えを裏付けるエビデンスばかりを主張し、反対のエビデンスは偽造とまで思います。
この確証バイアスは、ほぼ全ての人が、どんな職業であれ、かかってるといっても過言ではありません。
特に政治や宗教、陰謀論者、占いなんかも、この確証バイアスが強固な傾向があります。
自分の考えは正しいと結論づけるのではなく、アップデート出来る伸び代があることを楽しむというか、自分を含め誰もが半分くらいは何かを間違ってると考えるのが、この確証バイアスから逃れる手段かもしれません。


根本的な帰属の誤り
例えば、何かの大会に出場したとしましょう。
残念ながら、良い結果を出すことが出来なかった。
こんな時、人は「昨夜良く寝れなかった」「少し右肩が痛んだ」などと諦めの原因を見つけます。
同じ大会に、友人も出場していたとしましょう。
友人も同じように良い結果が出ませんでした。
そんな時「あいつ全然練習してなかった」とか「基本的に取り組みが甘い」などと原因を見つけます。

なぜ同じような悪い結果が出ても、異なる原因と判断するのか?
人は自分のことに関しては、自分とは無関係な外的要因で失敗を正当化しようとします。
しかし、他人にはそれほど寛大ではなく、失敗するのはその人に落ち度があるからだと考えます。
逆に他人が成功すると、運がいいだけと結論付けます。
なぜこのような認知バイアスがかかるかというと、失敗を運命のせいにした方がずっと楽だからです。
これを「基本的な帰属の誤り」といいます。


頻度錯誤
これは何か新しい事や物に興味を持ったとします。
すると、その事や物が頻繁に目につき、神秘的と考えたり、運命とまで感じてしまう現象です。
例えば、今までスニーカーはアディダス派だったのに、ナイキのスニーカーを買ったとします。
そうすると街中至る所でナイキを履いてる人が目につきます。
欲しい車が見つかったとします。そうすると街中で同じ車が目につきます。
これは決して、神秘的でも運命でもありません。
誰にでも起こる頻度錯誤という現象です。
時間が経つとみんな忘れますので、それほど怖い認知バイアスでは無いのですが、これを神秘的とか運命感じちゃうとかいってると痛いです(笑)


計画錯誤
人は課題を遂行するのに必要な時間を過小評価する傾向にあります。
よく寝て、スッキリ目覚めた朝、やる気に満ち溢れています。
よし、今日はこれやって、あれも終わらせて、あそこにも行って、この事も終わらせよう。
1日の終わりに、振り返ると予定外の事が起こり、思ってたことの半分も終わらなかった現実。。。
これが計画錯誤です。
特にスケジュール表をパンパンに埋めるのが好きな人は、この計画錯誤にかかり遂行できない度に、いらないストレスを感じてるのでは無いでしょうか?
私もこの計画錯誤には頻繁にかかったので、スケジュール表はなるべくスッカスカにして、予定外の予定を入れています。


スポットライト効果
美容室に行って、前髪を思っていた以上に短く切られてしまったとします。
すると、過ぎ去る人、過ぎ去る人が自分の前髪を見て笑っているような気がします。
これがスポットライト効果です。
安心してください、誰も見てません(笑)
中高生で、前髪が決まらないと一日憂鬱なんて事をよく聞きますが、気にしてるの本人だけなんですよね。
周りにどう見られるかを気にするより、周りをどう見るかが大切な気がします。


達成バイアス
大きなタスクより、小さなタスク。
つまり時間のかかる仕事より、時間のかからない仕事を優先してしまうバイアスです。
有効的な思考だと思われがちですが、結果小さなタスクばかりこなし、大きなタスクに取り掛かれなくなります。出来ることからコツコツは大切ですが、これはちょっと植え付けられてるような感覚が否めません。
やりたいことへの挑戦もバランスよく必要だと思います。


現状維持バイアス
例えば、パソコンを覚えようとか。
副業をしようとか。
資格を取ろうとか。
転職しようとか。
何か新しいことを始めようと思うときにかかるバイアスで、中々それに取り掛かれないといった行動にブレーキのかかるバイアスです。
これは、新たなことを始めると危険という人間の本能で、部分的にはあってる場合もあると思いますが、それが何でも「新しいこと=危険」に陥ってしまうことです。
「光は闇よりも恐ろしい。」上手な表現だと思います。
やる理由より、やらない理由を見つけるのが天才的な感じです。
自分の中の天才には中々敵いません。。。


サンクコストバイアス
コスト、つまり時間やお金を多く注ぎ込んだ物の価値を高く見積もってしまう事をいいます。
例えば、株も含めたギャンブルとかで、たくさん投資した結果、損切りが出来ない状況だったり。
スポーツなんかもそうです。
1つのスポーツをやり続けると、いかにそのスポーツが素晴らしいという偏りがでます。
本当は、そのスポーツをよく知ってるから語れるだけで、他のスポーツが引けを取ってる訳では無いのですが、時間をかけた分、自分のやったスポーツが素晴らしいと高く見積もってしまったりする現象です。
学びとかでもあると思います、時間をかけて学んだことが、結果あまり意味がなくても、時間をかけた分意味があったと思いたいという心理現象です。
物事を好きになったり、大切に思ったり、自分の中での価値観が高いのは、全然アリだと思いますが、その価値観を人に押し付けるようになると危険な気がします。
これはビジネスでも依存させる時などによく利用される心理現象症です。
このサンクコストバイアスを克服するには「失敗を認める」が一番かもしれません。
サーフィンって超素晴らしいですよ!←かかってるやつ(笑)


正常性バイアス
これは、自分は大丈夫と思ってしまう現象です。
病気だったり、怪我や事故、震災、詐欺なんかもそうですね。
何事も起こる発生率はあり、その発生率に自分も含まれています。
自分はコロナにかからないと思っていて、かかった人も多いのではないでしょうか?
全てに過剰に不安になる必要はないと思いますが、起こることは起こるマーフィーの法則です。


自己奉仕バイアス
成功した時は、自分の才能のおかげで、失敗した時は他人や環境のせいにする心理現象です。
たまに見かけるジャイアンみたいな人です。
失敗を自己要因にしたり、失敗は成功への過程とみなした方が楽だし結果につながると思います。


フォールスコンセンサス
みんな自分と同じように考えると思う心理現象の事をいいます。
「えっあれ食べた事ないの?」とか「あそこ行ったことないの?」とか「これ買ってないの?」
のような、自分を多数派に属しているという安心したい気持ちから生まれます。
悪気なく人を傷つけたりする場合があるので、気をつけたいバイアスです。
例えば、「背が高い=モデルみたい」と思っている自分が、女性に「背が高いね!」と言ったとします。
その女性は、背が高いことがコンプレックスで傷つきます。この心理現象を理解していれば、誤解を招くワードは避けるようになり「モデルみたいに綺麗ですね」といったような言葉に変わります。
そんな意味で言ったんじゃないんだけどなぁ、思うことが多い人はこのフォールスコンセンサスという認知バイアスがかかっています。


ダニングクルーガー効果
能力が低い人ほど自分を過大評価し、能力が高い人ほど自分を過小評価する心理現象。
ことわざの「井の中の蛙大海を知らず」と一緒と思いがちですが、異なります。
余談ですが、井の中の蛙大海を知らずは、世間知らず的なネガティブ意味で使われますが、実は続きがありまして「井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さを知る」という「狭い世界で自分の道を突き詰めたからこそ、その世界の深いところまで知ることができた」というポジティブな意味があります。
最近では、能力が高いのに自分を過小評価する自己肯定感の低い人が多い印象ですが、中々自己評価と他者評価がドンピシャってのも難しい気がします。


内集団・外集団バイアス
同じグループ内は味方、グループ外は敵とみなす心理現象です。
これは人類元々の生存本能からくるものだと思うのですが、近年の「分断」があたかも悪いことのように報じられ、同時に「多様性」が良いことのように報じらる、矛盾しか感じない煽り報道が拍車をかけてる気もします。しかも外部から見ると同じカテゴリーの方が敵対心が強いのが不思議です。
例えば、ビーガンがベジタリアンを悪く言ったりする感じ。
少年野球なんて意味わかんないくらいグループ属性がありませんか?
少年野球の話を聞いたときは「めんどくさっ」しか思いませんでした(笑)


情報バイアス
これはビジネスでも多く取り入れられています。
情報が多すぎると決断できないといった心理現象です。
ジャムの実験が有名です。24種類のジャムを試食販売するより、6種類のジャムを試食販売した方が購買率が上がったという実験です。

グループA(6種類)
・試食した人の割合:40%
・試食後の購入割合:30%
・全数の購買率:12%

グループB(24種類)
・試食した人の割合:60%
・試食後の購入割合:3%
・全数の購買率:1.8%

この実験で疑問に思うのは、試食販売ではなく、普通の陳列販売の場合に同様の結果が出るのかが気になります。24種類も試食したら糖分取りすぎでジャムを買う気が失せる気がするからです。

言えることは、たくさんの中から選べた方が良いと思いがちですが、適度な量というものがあります。
決定疲れを起こさせないというのが重要です。


単一原因の誤謬(ごびゅう)
成功も失敗も要因は1つだと思ってしまう心理現象。
「成功の要因は何ですか?」「失敗の原因は何ですか?」こんな質問をよく見かけます。
「ここまで日本経済が落ち込んだ原因は何でしょうか?」こんな質問を本気でしてる人もいます。
簡単に考えたい、簡単に理解したい、簡単に解決したい。
その気持ちはわかりますが、簡単に痩せる方法はありません(笑)
全ての物事はとても複雑なロジックによって導かれた結果に過ぎず、決して単一原因ではありません。

今回のお話の認知バイアスですが、これも研究されているものだけで150個以上あります。
一番重要な認知バイアスなんてないんです。

そもそも、認知バイアスとは、複雑なことを簡単に理解したいという脳の省エネモードから引き起こるバグです。

認知バイアスは、心理学の一部になるのですが、政治も宗教もビジネスも、ありとあらゆる業界が、心理学や脳科学を研究し、取り入れています。

だれもが、あるある!わかるわぁー!と思う内容だと思うのですが、その現象に名称があり、研究されていることは深く知られていません。

われわれ広告マンも、学ばざるをえない学問なのですが、一般的に悪用されるというか
あたかも自分の決断のように思わせることが出来て、それが多用されているので、誰もが学ぶことにより、生きづらさの軽減になればと思い、少し長くになりましたが認知バイアスの一部を紹介させて頂きました。

長文お付き合いありがとうございます。

Just be hopeful

【NO.102】日本経済再生計画

【NO.102】日本経済再生計画

日本経済の明るい話を聞く機会が中々ありませんが、わたしの中の希望の火はまだ消えていません。

わたしの考える方法は、プチ鎖国
これは他の国と仲良くするのはよそうということではなく
今元気ないので、また遊んでね!といった感じです。

まずは、円のデジタル通貨の開始
これが国内で使用するクレジットカードの置き換えになるのが理想です。
国内のクレジットカードの決済額は令和2年度で74兆4576億円です。
これには国内企業のJCBの決済額も含まれますが、圧倒的に強いのはVISAですかね?
決済手数料だけでも数千億から数兆円が毎年海外に流れていると思います。

店舗の決済手数料を1%以内で抑えて、これを決済税などを作って徴収すれば国での運営も可能で、店舗の負担も低く済むと思っています。

次に、国産OSのTRONの復活
デジタル好きの人でないと、TRONのことはご存知ない人が多いと思いますが、日本にはかつてWindowsに対抗できると言われていたOSのTRONがあります。実は現在でも無くなってはいません。

陰謀論者の中では、日航ジャンボ機(JAL123便)の事故は、このTORONを封じ込める為に起きたと主張する人も多くいます。わたしは陰謀論には否定的ですが、このJAL123便にTRONの技術者17名が搭乗していて17名全員が亡くなってしまったのは事実です。しかし、TRONの生みの親である坂村健氏は今も健在ですので、確かな技術の芽はまだ消えていない。

現在の日本で、日々WindowsやMac、AndroidやiOSを使わない人は、かなりの少数派だと思います。
仕事や日常の生活の基盤となるプラットフォームを海外に抑えられてる状態では、日本経済の復活は厳しい。国産のOSが復活すれば、海外に流れる多くのお金を食い止めることが出来ます。

次に、ベーシックインカム
これは今や説明のいらない政策だと思います。
これやらないとまず復活は無理かなと思っています。

財源確保の問題には、案がありますが危ないので、ここでは書けません(笑)
少子化問題も高額医療費問題も同時に解決できそうな劇薬案あります(笑)

全体的なベースとなる考え方は、地方の飲食店が地産食材を積極的に使うイメージです。
輸入品を一切使わないということではありません。

海外と仲良くすることは、とても大切ですが本当に経済崩壊まで行ったら、海外から友達の縁切られる可能性もあります。なので、今は少しでも海外に流れるお金を国内で流すことも重要なのではと考えます。

Amazonも、Googleも、Netflixも、Amexも、VISAも、便利だから使っちゃうんですよね(笑)
便利と引き換えに失ってるものがあるのかも知れません。

海外の投資信託などの話も多く出ますが、個人の資産を守れるかも知れませんが、長期的に見てどうなのかにも興味があります。

そもそもの話なのですが、わたしは日本の景気の良い時代を経験していません。
親は民間ですが、お役所的な仕事でしたので、バブル臭が家庭内で漂ったことはないです。

バブルが崩壊してから社会に出て、独立してからリーマンショック、そしてコロナ、戦争。。。
経済的に豊かになったことはありませんが、心は豊かに生きてこれた方だと日々感謝しています。

逆にバブルを経験していないだけに、通常運行で来れた気もします。

しかし、経済が良くなれば多くの人が幸せになれるのか?
そこで、また格差が生まれるのか?
嫉妬が生まれるのか?
競争が生まれるのか?

どうなんでしょうね。

TRONの復活は厳しいとしても、日本円のデジタル化やベーシックインカムは可能性が高いというか
そこに進むしかないと思うので、時期がいつになるかが楽しみです。

Just be hopeful