【第4話】同業他社を気にしない

外から観ればチャンスがいっぱい♪

同業他社に対する過剰な注目は、ビジネスの目的と戦略から外れてしまう可能性があります。成功するためには、以下のポイントに焦点を当てることが重要です。

1. 顧客中心のアプローチ

  • 顧客のニーズと期待を理解し、それに基づいてサービスや製品を提供します。顧客の満足度を高めることが、ビジネスの成長と成功に直接貢献します。

2. 競争力の確保と強化

  • 自社の強みと競争力を明確にし、それを基盤に戦略を構築します。これには、独自の価値提案や優れたサービスの提供が含まれます。

3. 独自性とイノベーション

  • 独自のアイデアやイノベーションを追求し、市場での差別化を図ります。これは、競合他社による模倣を困難にし、顧客のロイヤルティを築く助けとなります。

4. 透明性と信頼の構築

  • 価格設定やサービス内容を明確にすることで、顧客に対する透明性と信頼を築きます。これは、長期的な関係を築く基盤となります。

5. 継続的な学習と改善

  • 市場のフィードバックやデータを利用して、ビジネスプロセスや戦略を継続的に評価し改善します。これにより、ビジネスの効率と効果性を向上させることができます。

6. マーケティングと広報

  • 効果的なマーケティングと広報活動を通じて、ブランド認知と顧客エンゲージメントを高めます。これには、SNSやウェブサイト、その他のマーケティングチャネルを効果的に利用することが含まれます。

7. 認知バイアスの理解

  • 認知バイアスの影響を理解し、それに基づいて戦略を調整します。これにより、効果的な意思決定を支援し、ビジネスの成果を向上させることができます。

これらの要素を考慮することで、同業他社に焦点を当てすぎることなく、ビジネスの目的に合った戦略を構築し、効果的な実行を図ることができます。


> 次の記事【第5話】ホームページ制作会社の選び方。

【第3話】効果的な宣伝広告費の割合。

効果的な宣伝広告費の割合。

広告宣伝費の割合は、企業の業種、規模、戦略、および市場環境によって異なります。以下に示すのは、広告宣伝費を効果的に配分し管理するための一般的な指針と考慮事項です。

1. 目標設定

  • 明確なビジネス目標と広告宣伝の目的を設定します。これは、広告宣伝費の割り当てと効果測定の基盤となります。

2. 予算の設定

  • 利用可能な予算を確認し、それを適切に配分します。業界標準や競合他社の支出を参考にすることも有用ですが、自社の状況と目標に基づいて予算を設定することが重要です。

3. ROIの測定

  • 投資回収率(ROI)を測定し、広告宣伝活動の効果を評価します。効果的なROI測定は、広告宣伝費の最適化と戦略の調整をサポートします。

4. 多様なチャネルの利用

  • 複数の広告チャネルとプラットフォームを利用し、それぞれの効果を比較します。これには、オンライン広告、ソーシャルメディアマーケティング、印刷広告、イベントマーケティングなどが含まれます。

5. ターゲットオーディエンスの理解

  • ターゲットオーディエンスの行動と嗜好を理解し、広告宣伝活動をそれに合わせて調整します。これは、広告宣伝費の効果的な利用と、より高いROIの達成をサポートします。

6. 競合分析

  • 競合他社の広告宣伝活動と支出を分析し、市場での自社の位置を理解します。これは、広告宣伝費の効果的な配分と競争力の強化をサポートします。

7. 継続的な最適化

  • 広告宣伝活動のデータを定期的に分析し、予算配分と戦略を継続的に最適化します。市場の変化と学んだ教訓に基づいて戦略を調整し、広告宣伝費の効果を最大化します。

これらの指針と考慮事項を利用することで、企業は広告宣伝費を効果的に管理し、ビジネス目標を達成するのに役立つ戦略を策定できます。最終的には、広告宣伝は企業の成長と成功にとって重要な要素であり、慎重な計画と効果的な管理が求められます。

広告宣伝費の割合は、企業規模、業界、エリアなどで大きく変わりますが、一般的に言われている目安として捉えてください。

小売業:売上の2〜3%
飲食業:売上の3〜6%
製造業:売上の2〜5%
サービス業:売上の7〜8%
テクノロジー業界:15〜20%

> 次の記事【第4話】同業他社を気にしない

【第2話】ホームページにどこまでお金をかけるか?

webは、お金をかければいいてもんじゃない。

ホームページ制作と運営に関する予算配分は、ビジネスの目的と期待されるリターンに密接に関連しています。以下のポイントは、予算の配分と効果的なウェブサイト戦略を考慮する際に考慮すべき要因を示しています。

1. 目的の明確化

  • ホームページの主な目的を明確にし、それが新規顧客の獲得、ブランド認知の向上、またはオンライン販売の促進であるかを理解することが重要です。

2. 予算の設定

  • 利用可能な予算を明確にし、その予算内で最大の効果を得る方法を考慮します。これにはホームページの設計と開発、マーケティング、コンテンツ制作、および維持管理のコストが含まれます。

3. コストと価値のバランス

  • 低コストの解決策が提供する価値を理解し、それがビジネス目標を達成するのに十分であるかどうかを評価します。安価なホームページ制作サービスや無料のホームページビルダーは、初期コストを抑える方法を提供する可能性がありますが、プロフェッショナルなカスタムデザインや高度な機能には限界があるかもしれません。

4. 持続可能な投資

  • 長期的な成功のためには、ホームページの維持、更新、および最適化に対する持続可能な投資が必要です。これには、定期的なコンテンツの更新、SEOの最適化、およびユーザーエクスペリエンスの改善が含まれる可能性があります。

5. 効果測定と調整

  • ホームページのパフォーマンスを定期的に分析し、必要に応じて戦略を調整して予算配分を最適化します。効果測定は、ROI (Return on Investment) の理解と予算の効果的な利用をサポートします。

6. 技術の進化への対応

  • 技術の進歩はホームページの設計と機能に影響を与えます。例えば、ChatGPTやBardなどのAI技術は、ホームページのコンテンツ生成やカスタマーサービスを効率化し、コストを削減する可能性があります。

最終的に、ホームページ制作と運営におけるコストとパフォーマンスのバランスは、ビジネスの目的、利用可能なリソース、および期待されるリターンに基づいて独自に評価される必要があります。感情ではなく、事実とデータに基づいて戦略的な判断を行うことが、オンラインでの成功にとって重要です。

> 次の記事【第3話】効果的な宣伝広告費の割合。

【第1話】全ての始まりはここから。重要なのはコンセプトよりフィロソフィ。

まずは、さておきコンセプト。

当然ですが、Concept(コンセプト)は英語です。
日本語で訳すと「概念」になります。

しかし、日本語訳すると概念なのですが「コンセプト=概念」ではないのが日本語の難しい所でもあります。

まず、コンセプトはビジネスやマーケティングでよく用いられるので、耳にすることが多いと思います。
コンセプトとは、ある事柄を要約するためのキーワードやフレーズのことをいいます。

これに対し、概念は学習や研究でよく用いられる言葉で
ある事柄を表す言葉のことをいいます。

そうなると、一つ疑問が湧く人が多いかも知れません。
コンセプトとは、ある事柄を要約するためのキーワードやフレーズのことをいうのであれば
「コンセプト=キャッチコピー」となるのか?

実はこれも違います。

コンセプトは全体を貫く概念のことで、「誰に」「何を」「どうやって」を明確にすることです。
このコンセプトを伝えやすく1フレーズにまとめたものがキャッチコピーになります。

例で言うと、マクドナルの企業コンセプトは
”おいしさと笑顔を地域の皆さまに。 お客様だけではなく、従業員、そして地域の皆さまに笑顔になっていただくことがマクドナルドの存在意義です。 QSC&Vを基盤に、従業員一人ひとりがマクドナルドの価値観を理解、共感、体現することで、「おいしさとFeel-Goodなモーメントを、いつでもどこでもすべての人に。」 お届けします。”

になり、キャッチコピーは、みなさんご存知の
”I’m lovin’ it.”
になります。

I’m lovin’ it. は直訳すると「私はそれを愛してる」となりますが
意訳すると「最近の私のお気に入り」といったような意味になると思います。

文法的に英語がおかしいという指摘もありますが、キャッチコピーにはよくあることです(笑)
言葉を新しく作ってる場合も多く、スラングっぽくなる場合もあります。

また、コンセプトとキャッチコピーには
・企業コンセプトと企業キャッチコピー
・商品コンセプトと商品キャッチコピー
・サービスコンセプトとサービスキャッチコピー
などがあり、必ず2つがセットで使われるとは限りません。

例えると、スターバックスの企業コンセプトは
「サードプレイス」ですが、企業キャッチコピーはなく、キャッチコピーは商品ごとに付けられています。
まぁ、コンセプトをここまで一言で表現できる例も中々ないですからね。

そして。やっとタイトルにあるフィロソフィですが、これは理念のことです。
理念を英語訳するとPhilosophyになるのですが、Philosophyを日本語訳すると「哲学」になります。

しかし「理念=哲学」ではないので、難しい所です。
その為、企業理念の場合はPhilosophy(フィロソフィ)ではなく、Principle(プリンシプル)を使う場合が多いですが、哲学あっての理念の為、わたしはフィロソフィが重要とタイトルに書いています。

つまり、どういうことかというと

個人の哲学があるから、個人の理念がある
個人の理念があるから、企業の理念がある
企業の理念があるから、企業の概念がある
企業の概念があるから、商品やサービスの概念がある。

と考えます。

この、個人の哲学や理念や企業の理念をすっ飛ばして概念、つまりコンセプトを考えるというか
後付けのコンセプトが多すぎる。

こう言えば、良く見られるよね!とか
時代的にエコとか含めた方が良い!とか
そういうのキツイです(笑)

重要なのは個人の哲学から生まれる、個人の理念が物事のジャッチの基準になります。
ここがブレていると、全てがブレブレになります。

例えば、私個人の理念は
Love & Cool です。

物事のジャッジをする際に
そこに愛はあるか?
それはクールか?
常にこのふたつを問いかけます。

その考えの源が、嫉みや嫌悪からではなく
本当に愛から生まれているものか?

他人からの見られ方ではなく、自分自身が本心でそれを見た時にクールと感じるかどうか?
このふたつを問いかけ、どちらかでも欠けていたらNGとしています。

コンセプトを考える際は、まずフィロソフィから見つめ直してみてください。

あなたのフィロソフィはなんですか?


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【NO.115】クリティカルシンキング ~常識を疑え~

今回は、クリティカルシンキングのお話です。
結構前からビジネスにおいて重要なスキルと言われていたのですが、ここ数年このワードが注目を集め出しました。

注目を集めた理由は、2020年のダボス会議で、今後必要とされるビジネススキルとして2位に選ばれたのが要因と言われています。

(1)複雑な問題解決(Complex Problem Solving)
(2)クリティカルシンキング(Critical Thinking)
(3)創造力(Creativity)

これが2020年のダボス会議で発表された、今後必要とされるビジネススキルのベスト3です。

ダボス会議は、ニュースなどメディアで耳にする機会があるので、ご存知な方も多いと思いますが
正式名称はWorld Economic ForumでWEFと略します。
日本語でいうと「世界経済フォーラム」と言うのですが、毎年スイスのダボスという街で開催され
世界各地から政治家、ビジネスリーダー、学者、ジャーナリストなどが集まり、国際経済や政策、環境問題、テクノロジーの進歩など、世界に影響を及ぼすさまざまなテーマについて議論します。

世界を動かすハイパーエリートたちの会議で、ダボスで行われるから通称ダボス会議といわれています。

このダボス会議の開催時期は、このダボスには一般市民は入れず、招待された人のみが入れて、あらゆる高いビルの屋上からスナイパーが監視しているという、映画のような感じですが、実際に毎年行われている会議です。

このクリティカルシンキング。
日本語で直訳すると「批判的思考」となり「批判」という言葉から、ちょっとマイナスなイメージを持ってしまう人いますが、物事の本質を見極める為には、重要な思考法になります。

簡単にいうと「常識を疑え」ということです。

「常識」という言葉を聞いて、みなさんは常識とは何と思いますか?
・当たり前のこと
・正しいこと
・一般的なこと
・普通のこと
こんな感じではないでしょうか?

「あの人は非常識。」なんていい方があるので、常識は大切なことと思う人が多いと思います。

では、かなり時代をさかのぼってみます。
江戸時代、男性のちょんまげは常識だったと思います。
貧乏だと食い減らしで、子供を売ってました。

明治時代。
ゴミのポイ捨ては当たり前でした。
夏目漱石の三四郎で、空になった弁当の箱を汽車の窓からポイ捨てするシーンがありますが、今なら大問題ですよね。でも当時は常識です。

昭和時代。
口笛吹いて、空き地に行って、勝手に誰かの土地に不法侵入して遊んでました。
道路はガムのカスだらけでしたね。
病院内でも飛行機内でもタバコが吸えました。
部活の練習中は水飲んじゃダメでした。
体罰、当然のものと思ってました。
教育指導の先生に警棒で頭をこづかれたときは、昼間なのに星が見えました。
ジャニーさんの性癖、聞いたことない人いたんですかね?

昭和はリアル世代なので、キリがないですね(笑)
これらは昔の常識の一部の例ですが、現在ならほぼ非常識ですよね。
ちょんまげはOKかな? 一周回って斬新ですね。

まあ、何が言いたいかというと、常識は不動なものではなく、
相対的で文化や時代によって変わることがあるってことです。
もしかしたら常識と思うことは、変わることの方が多いかもしれませんね。
あまり大きく変わらないとしたら、それは良識だと思います。

常識だと思って、当たり前だと思って、考えたこともないことって案外多いものです。

そもそも、これって必要なの?
そもそも、これって何の為?
そもそも、これってどういう意味?

というような、「そもそも論」が重要だと思っています。
これからの時代というか、いつの時代もそうなんですが、時代は指数関数的に変わっていきます。

いち早く、不要な常識に気づき、良識をチョイスしていくことが大切なのかも知れませんね。

Just be hopeful

【NO.114】自然と科学

自然と科学

ここ数ヶ月はAIの話が続いていたので、今回は最近考えていることのお話をさせて頂きます。

そもそも、このレポートは特に最新情報や方法などを発信しているわけではなく
「こんな考え方もあるかもしれません」といった思考方法のレポートです。

また、ここで発言しているわたしの思考が正しいなどとはミリも思っていません。
わたしは単純にそう考えているだけで、みなさまの思考の幅が広がるきっかけになれれば
それだけで幸いです。

変わった考え方するやつもいるんだな程度で、受けてもらえればうれしいです。

さて、今回は「自然と科学」のお話です。

自然と科学というと、どうしても相反するものという印象を持つ人が多いと思っています。
例えば、天然と人工物とか、ナチュラルとケミカルといったような感じです。

ポジショニングマップにすると、こんな印象が強くないですか?

ケミカル、つまり人工物は安い。
ナチュラル、つまり自然とか天然のものは高い。
また、
ケミカル、つまり人工物は悪い。
ナチュラル、つまり自然とか天然のものは良い。

なんて、印象強くないですか?

わたしは、このポジショニングマップのような考え方が間違ってると言うつもりではなく。
全てにおいて、必ずしも適切かと疑問を持っているだけです。

この多くの人が持っている印象は、自らの様々な経験や学びの中から導いたものなのか?
それとも誰かに植え付けられたバイアスなのか?

ポジショニングマップでいうと、プラスとマイナスといったような対局の物であり
コインなどで例えると、表と裏といった対局の物の印象が強くないですか?

適切な場合もあると思うのですが、全てをこのような二次元で考えるのには、少々疑問があります。

そもそも、科学とは何でしょうか?
みなさまは科学を何とお考えですか?

わたしは科学とは、人類が読み解いた自然の法則と考えています。

つまり、科学とは自然に対極するものではなく
科学は自然の一部と考えています。

また、ポジショニングマップの左右対極や、コインの表裏のような二次元的なものではなく
三次元の球体のイメージです。

対義語という言葉が、このポジショニングマップのような考え方をしてしまう原因ではとも考えています。
対局の状態を意味する言葉としては正しいのですが、対局の性質ではないと考えます。

例えば、
暑いと寒い。
対局の状態を意味する言葉ですが、何を指しているかというと気温の状態ですよね。
暑いも寒いもどちらも同じ空気の温度を意味しています。
異なる性質ではありません。

熱いと冷たいであれば、水など何らかの物体の状態。
高い安いであれば、価格の状態。
高い低いであれば、建物や身長などの状態です。

先日、WHOが人工甘味料のアスパルテームに発癌性の疑いがあると見解を明らかにしましたが
天然の砂糖でも摂りすぎれば病気になりますし、生きるために欠かせない塩や水も摂りすぎれば命を落とすことがあります。

なので、どちらが善で、どちらが悪というような単純なものではなく
互いが存在することで、初めて己の存在を認識できるものと考えます。

もう少し変な話をすると
このような双方の状態は、同時に影響するのでは?
とも考えています。
どういうことかというと
例えば、熱いと冷たい。
ものすごく冷たいものを触ると火傷と似た状態の凍傷になることがあります。
また、大火傷をすると寒く感じることがあります。

これと同じようなことが様々な状態で起きているのではと考えています。

では、お金持ちと貧乏の場合はどうでしょう?

同時に存在するので、お金持ちになっても、常に喉が渇いている飢餓状態になったり
貧乏でも満たされていると感じたりするのではないかと。

こう考えると、あまり何かに極ぶりな考え方をするより
ゆるくフラットな考え方の方が、気持ち的に穏やかでいれる感じもします。

答えは当然分かりませんが
答えを求めてるというより、考えてるのが好きなんだと気づく今日この頃です。

まぁ、何事もバランスが大切ですね。

Just be hopeful

【NO.113】国連サミットでAIが “人間よりもうまく世界を運営できる。” と発言した件について

国連サミットでAIが “人間よりもうまく世界を運営できる。”と発言した件について

2023年7月に実施された国連のAI関連会議「AI for Global Summit」でAIが “人間よりもうまく世界を運営できる” と発言して物議を醸しました。

この発言をしたのは有名なAIのソフィアといいまして、2017年に世界で初めてサウジアラビアの市民権を獲得したAIです。

「うまく」という意味を、効果的、効率的と定義するならば、今後AIの精度がもっと上がることを想定すると、わたしはあながち間違っていない発言と思いました。

このような話題が上がると、どうしてもAIに支配されるといったような意見が目につくようになります。
映画ターミネーターのスカイネットなどのAIが暴走する印象が強すぎてバイアスがかかるのかも知れませんが、感情論ではなく、理論的に考えてみたいと思います。

ソフィアと話せる機会はないので、日常的に使っているAIで話を進めてみます。

ChatGPTを使っていて、スゴイなと感じるひとつとして、喧嘩を買わないというところがあります。
どんなに喧嘩売っても乗ってこないですよね(笑)
また、誘導尋問しても引っかからないです(笑)

Bardも同様に喧嘩を売っても乗ってこないのですが、誘導尋問は引っかかる傾向を個人的には感じます。

その話、関係あんの?
と思う人もいると思うのですが、わたしは非常に関係あると考えています。
つまり、感情的ではなく、理論的に物事を考え対応するということです。

社会には様々な問題があります。
ミクロであれば、ミクロであるだけ人間でも解決しやすくなりますが
マクロであれば、マクロであるだけ人間には解決しずらくなります。

これは、当然です。
マクロになれば、マクロになるほど複雑なロジックの重なり合いになります。
これを人間の頭脳で解決するのは、ほぼ0%に近くなります。

例えますと、袋の中にボルトとナットをひとつずつ入れます。
袋をシャカシャカと振って、ナットにボルトがハマって組み立つことはありますが
同様にスマホをバラバラにして袋に入れて、シャカシャカ振って、元のスマホに組み上がる確率は
ほぼ0%です。

0%ではありません。
ほぼ0%です。

それ、運の話じゃん。
と思う人は、すばらしい。
そうです、運でもあります。

問題を解決する知識を持ってるかどうかというのは運の問題でもあるのです。

例えば、あなたのパソコンが壊れたとします。
あなたがパソコンに詳しくて、自分で直せたら、この問題に対しては、あなたは相当運が強いです。
自分は詳しくなくても、家族に詳しい人がいれば、この問題に対しては、結構運が強いです。
家族に詳しい人がいなくても、友人に詳しい人がいれば、この問題に対しては、運が強いです。
誰ひとり詳しい人が周りにいなければ、この問題に対しては、運が悪いです。(笑)

これがミクロの問題の一例です。
マクロになればマクロになる程、色々な要因が絡み、複雑なロジックになります。

マクロな問題に取り掛かる。
感情的には理解できます。
何かしたい、何とかしたい。
しかし、解決できる確率は、ほぼ0%です。

ミクロな問題は100%解決できることがありますが、マクロな問題は100%解決できることは
ほぼありません。

わたしが思いつくところだと天然痘くらいが、ほぼ100%解決したと言えるのでは無いでしょうか?
しかし、これも「ほぼ」であり完全な100%では無いと思います。
何か人類がマクロの問題で、100%解決できたことがあったら、ぜひ教えてください♪

つまり何が言いたいかというと
色々な問題に対して、国が悪い
政治家が悪いって言う人いるじゃないですか。

政治は、誰がやっても問題を100%解決することは出来ないと考えます。
言い方悪くすると、誰がやっても一緒ってことです。

良い方向に向かう問題はあると思います。
ただ、それも運ですよね。

多くの人が因果関係で物事を考えるのが好きなのに
100%運で決まるとなると、それはそれで人は嫌がる複雑な生き物です。

では、非科学的な因果関係ではなく、科学的に相関の強さで考えましょう。
そうなると確率論になります。

現在、国連加盟国は193カ国で、言語の数は約7000言語あると言われています。
ここに文化の数となると計測もできなくなる数です。

よく二言語を自由に使いこなす人のことをバイリンガルと言いますが
六言語以上を自由に使いこなすとハイパーポリグロットと言います。

ハイパーポリグロットには会ったことがないです。
スゴイっすよね六言語って。。。

ChatGPTを例にすると、英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語、オランダ語、ロシア語、中国語、韓国語、日本語の十一言語対応になる訳です。

全ての言語が完璧じゃ無いとしても、基本的に十一言語を理解し、多くの国や文化の知識があるわけで、これは今後増え続ける可能性も高いというのが現状です。

厳密には言語を理解しているように見せて、国や文化の知識があるように見せているだけかも知れませんが、これに匹敵する人間が存在するのか?ということ、また存在したとしても同時に会話や考えることは出来ません。

聖徳太子で10人です。(笑)
伝説の人で10人ですよ。

ChatGPTってどのくらいなんですかね?
数千の同接はあると思います。
億あるのかな?

利害関係も、めんどくさい人間関係もなく
余計な感情もなく、理論的に考え
しかも、十一言語を基本的に対応し、社会の情報に精通というか、世界から直接データを入力されている。

確率論的に「AIが人間よりもうまく世界を運営できる」を
否定出来る理論があればとてつもなく興味があります。

まぁ、確率論が全てとは全然思っていません。
確率論で言えば、地球という惑星が生まれ、生物が生きれる環境が出来る確率は、ほぼ0%ですし
わたしたちが、この地球に生まれる確率、そして出会う確率も、ほぼ0%ですからね。

Just be hopeful

【NO.112】AIにより変わる教育、変えるべきは評価の基準。

Chat GPTなどのAI言語モデルの登場で、教育面で「学び」というものを改めて考え直す時期が来ているようで、日々多くの議論がされています。

学生のChat GPTの使用を規制するべきか?
宿題でChat GTPの答えをコピペしていたら意味がない。
論文をChat GPTに書かせていたら意味がない。

Youtubeなどでも多く議論を目にします。
AI賛成派の先生、AI反対派の先生、色々います。

例えば、「学生のChat GPTの使用を規制するべきか?」という議題。
Chat GPTが答えられないような問題を、教師が出す必要がある。と答える賛成派の先生もいれば
Chat GPTを使用し続ければ考えるという能力が育たない。と答える反対派の先生もいます。

みなさんはどちら派ですか?

わたし、すごく不思議なんです。
なぜ多くの人が「議題」があると、それが今議論し判断すべき問題であると思うのか?
出された「議題=問題」に対して、Yes / No または賛成/反対の答えを出さなきゃいけないのか?

この議題、定義が足りないんですよ。

今の社会って結果が評価される訳じゃないですか。
学生であれば、テストの点数であったり、論文の出来であったり。
評価はあくまで結果ですよね。

プラスして、より多く記憶し、より早く記憶したものを評価しますよね。

この評価で生涯年収が大きく変わったりする訳じゃないですか。
その評価基準が変わらないんだったら、Chat GPTは使うべきですよね。

必要なのは、Chat GPTを規制する規制しないではなく。
評価の基準を変えるべき時期だと考えます。

より多く、より早く、より正確にを評価するものを学習としてきたので
問題を出されると、それにそのまま答えるようになっている気がします。
問題自体が問題と考えられなくなってるのではと思うのです。

そもそも、日本政府が掲げている「ムーンショット計画」というものがありまして、その中の目標としてこうあります。

・2050年までに、望む人は誰でも身体的能力、認知能力及び知覚能力をトップレベルまで拡張できる技術を開発し、社会通念を踏まえた新しい生活様式を普及させる。

・2030年までに、望む人は誰でも特定のタスクに対して、身体的能力、認知能力及び知覚能力を強化できる技術を開発し、社会通念を踏まえた新しい生活様式を提案する。

このように、ちゃんと掲げてる訳じゃないですか。
2030年までに「強化できる技術を開発」
2050年までに「トップレベルまでに拡張できる技術を開発」と。

技術でクリアすると掲げておりながら、努力でクリアしなさいと言っているあたり、
よく分からんのですよ。

大切なのは、学びに対して努力をすることではなく
学びに対して興味を持ち、それを喜んで探求していくことだと思うのです。
評価をしなければいけない前提だから、AIに規制が必要かどうかの話になるわけで
評価をしない前提であれば、AIを使って興味のある分野を喜んで探求すれば良いだけだと考えます。

昔ならわかります、知能のレベルによって学校や教室を分け、効率よく教育をする必要があったので。
今はAIで一人ひとりの理解具合に合わせ教育できます。
教育者という職を残すためだけに、評価をするという仕組みが残ってる。
とも思えます。

ムーンショット計画にはこんな目標もあります。

・2050年までに、人が違和感を持たない、人と同等以上な身体能力をもち、人生に寄り添って一緒に成長するAIロボットを開発する。
・2030年までに、一定のルールの下で一緒に行動して90%以上の人が違和感を持たないAIロボットを開発する。
・2050年までに、自然科学の領域において、自ら思考・行動し、自動的に科学的原理・解法の発見を目指すAIロボットシステムを開発する。
・2030年までに、特定の問題に対して自動的に科学的原理・解法の発見を目指すAIロボットを開発する。
・2050年までに、人が活動することが難しい環境で、自律的に判断し、自ら活動し成長するAIロボットを開発する。
・2030年までに、特定の状況において人の監督の下で自律的に動作するAIロボットを開発する。

このような目標を掲げ、向かっている国が、AIの使用に規制をどうのこうの議論するって
人に注目されそうな議題をあげて、ただ人の時間の搾取をするだけのコンテンツを作り続けてるだけのように見えます。

そして、今議題にすべき重要なことは
国として国産のAI言語モデルを作ることに予算をぶっこむかってこと。

AI言語モデルは性質上、多く使われた物勝ちです。
つまり、何もしなければOpenAIの独り勝ちはほぼ確定であり、日本人はそのサービスを使い続けるために料金を支払い続けることになるわけです。

そうなれば、ムーンショット計画が現実化した時に必要なAIも料金を払い続けるわけです。

先日、AI分野で有名な東大の松尾教授が500億くらいでChat GPT 3.5と同レベルは作れると思うと言っていました。

わたしはここに挑戦したほうが良いと思うんですよね〜
どんだけ外資が稼げる可能性があるか。。。

異次元の少子化対策で3兆円。
そもそも先進国はこの50年間で軒並み出生率が下がっている訳で、
維持している国なんてひとつもありませんし、出生率低下の原因も解明出来ていません。

また、高齢者の面倒を見るために子供を増やさなきゃいけないように見えているのは私の偏見ですかね?
わたしなら、そんな考えの国にいま生まれてきたくないです。

もし、少子化対策がうまくいって来年出生率が上がったとします。
来年生まれる子が社会に出るのって、今から23年後くらいですよね?
つまり、2046年。
そこから4年でムーンショット計画の2050年なんですよ。

50年間、先進国全てが下げている出生率に3兆円かけるなら
この1年ほどでとんでもなく伸びているAIにかけた方が、みんなの税金も生きると思うんですよね。

500億でChat GPT 3.5と同レベルなら、3兆円かければ4レベルも無理じゃない気がしてます。

まとめます。

まず議題すべきは、国産の言語AIモデルを作るかどうか。
次に、学問における評価の基準の変更。
そして、AIをゴリゴリ扱える学生を育てること。

子供を育てやすい国という大人都合よりも
子供たちが生まれてきたいと思う国になるといいですね。

Just be hopeful

【NO.111】AIとヒトの共通性: 進化の必然性と罪悪感

AIとヒトの共通性: 進化の必然性と罪悪感

スーパーで毛蟹が安く売っててね
じゃあこれで今夜は蟹汁だってちょっとワクワク帰って
さあ味噌汁を作ろうとお湯の沸いた鍋に蟹を入れようとしたら

蟹が生きてたんだよね。

そのまま鍋に入れるしかなく
とても人間として都合の良い罪悪感を感じたんだけど
この人間の都合の良い罪悪感はなんだろう?

と、ChatGPTに入力してエンターキーを私の右手の小指が押し込んだ。
押し込んだエンターキーが、小指と一緒に元の位置に持ち上がる瞬間に

あなたが感じた“都合の良い罪悪感”は…

と、ChatGPTが走り出す。

その時のChatGPTの回答が以下になる。

あなたが感じた”都合の良い罪悪感”は、一般的に道徳的な衝突や倫理的なジレンマを示しているかもしれません。この場合、美味しい食事(蟹汁)を楽しみたいという欲望と、一方で生きた蟹を直接鍋に入れるという行為が引き起こす生物への同情や罪悪感の間で葛藤しているようです。
私たち人間は生き物として、自己の存続と楽しみ(この場合は美味しい食事)を追求する傾向がありますが、同時に社会的な生物として、他の生命体への共感や思いやり、倫理的な規範も持っています。これらの間でのジレンマはしばしば罪悪感を引き起こします。
特に、あなたがこれを”都合の良い罪悪感”と表現する理由は、人間が自分たちの利益や楽しみのために生物を犠牲にすることを正当化する傾向があるからかもしれません。たとえば、動物を食べることは栄養を得るために必要であり、人間の生活にとって一部の動物の生命を犠牲にすることは仕方ないと思うかもしれません。しかし、それを実際に行うと、その生物への思いやりや同情からくる罪悪感を感じるかもしれません。
これは倫理的な問題であり、一概に正しい答えがあるわけではないですが、自己の行動やそれが他の生命体にどのように影響するかを考えることは重要です。それは自己の倫理観を形成し、未来の行動に影響を与えることになります。

わたしは、この問いに対して、即座に答えられる自信がない。

岡田斗司夫なら、
いってんぽ置いて「ん〜、君が感じた“都合の良い罪悪感”はね・・・」と答え出してくれるかもしれない。
橘玲なら、苦笑をしてからゆっくりと「それはさ…」と絶望を伝えてくるかもしれない。
落合陽一なら、わたしが全て話終わる前に、かぶり気味で「それを人はジレンマと呼ぶ…」と早口で答え出してくれるかもしれない。
しかし、残念なことにこの三人とは直接話したことがない。

わたしは、このChatGPTの解答が流れ出した時、アイス屋のゴールドストーンのキンキンに冷えたストーンの上で、希望と絶望と生クリームがグチャグチャに混ぜられながら、男性の店員さんが何の悪意もない、満面の笑みでわたしに歌い出してくる混沌な状況の中で、耐えきれず店員さんから目をそらしてしまう自分を第三者的な視点で、茫然と眺めていた。

まさにカオスである。

一応ITに携わる人間として、AIの仕組みはある程度理解している。
それなりの答えが出てくることも容易に想像できる。

わたしは先月のレポートで以下のように述べた

“ChatGPTが何が便利なのかわからないという方もいます。

何が便利なのかを簡単にいうと
これまでは人の知識だったものを、自分の知識に出来るということです。

これ勘違いしてる方も多いのですが、AIが考えて答えていると思っているようです。
それは間違いです。

あくまで、誰かの考えをAIがまとめてるに過ぎません。”

自分で書いているんだから理解はしている。
今回はこの部分を少し掘り下げてみる。

AIの言語モデルとは、言葉の組み立てのアルゴリズムを事前学習している仕組みである。
どういうことかというと、

「ありが」
という三文字の言葉の続きが色々なパターンが考えられる。
・ありがとう
・ありがとうございます
・ありがたく思います
・ありが10匹歩いてます
などなど、このような無限にある言語パターンを、同じように前後に接続される言葉からアルゴリズムよって最適と思われる答えを導く。

実はこれ、人間も全く同じである。
言葉を話すということは、過去の経験や学びから導かれる単語や接続詞などの組み合わせ。
つまり全てアルゴリズムで完結されている。

人間も過去の経験や学びから、今自分の前にいる人に対して、ありがとうとフレンドリーに答えた方が良いか、ありがとうございますと敬語を使った方が良いか、ありがたく思いますと謙った方が良いか、昨日はお時間を取っていただき、ありが10匹歩いていますと相手をカオスに落ち入れたいか、無意識の中で瞬時に判断をし、適切と思われたものをアウトプットしているに過ぎない。

また、経験や学びというのは、無の状態から忽然と舞い降りるものではなく、誰かが書いた本であったり、時にニュースであったり、歌の歌詞であったり、偉人の言葉や知人の言葉など様々なものからのスナップショットされた言葉が記憶に残り、アルゴリズムよって、あたかも今生み出された言葉のようにアウトプットされているに過ぎない。

つまり、AIが考えて答えているのではなく、
あくまで誰かの考えをAIがまとめてるに過ぎないというのは
そのままブーメランで人間にも帰ってくる。

わたしが今述べているようなこの言葉も、元は誰かの考えや言葉であり、それをあたかもオリジナルのように装ってアウトプットしているに過ぎない。

その為、AIは人間の脳のロジックを再現したに過ぎず、そこに違いはない。

そうなると、その先に必然的に見えてくるものは無意味な争い。
便利な道具としてのAIと表裏一体となるのが、無意味な争いという絶望である。

わたしの中に、AIを神格化する思想はミリも存在しない。
同時に人間を神格化する思想もミリも存在しない。

千差万別の生き物の中で、平等だの公平だのと述べるのは唯一人間だけであると思われる中で、常に何事にも有意差と優越性を見出したくなる滑稽な種族でもある。

我々、ホモ・サピエンスの起源は10万年ほど前と言われている。
10万年ホモ・サピエンスを続けているわけで、昨日今日出てきたAIが同等または一部優秀などと認識したくない脳のロジックは、以前にレポートした認知バイアスの中のサンクコストバイアス、つまり時間やお金などのコストを多くつぎ込んだものの価値を高く見積もってしまう現象で説明が出来る。

この地球上で、10万年間「我、覇者なり。」とラオウのように生きてきたのだから、当然といえば当然ではある。

今起きている科学の進化が人間に与えるストレスは、新型コロナウイルス以上かもしれない。
なぜなら人類にも進化の必然性を感じるからである。
そもそも「進化」というものを良いことと認識している人が多いかも知れないが、進化とは決して安易に喜べるものでもない。

なぜかというと、進化とはそうせざる問えない状況、致し方無い状況を意味指す。
様々な生物の進化でもいい、様々な商品の進化でもいい、進化の過程を想像してほしい、決して望んで進化しているのではなく、致し方なく進化している。

それは、種族の存続であったり、企業の存続であったりする。
進化とはそういうものである。

この思うままに筆を取った文章をどう締めくくるか迷ったので
ここまでの文章を全てChatGPTに分析させてみる逃げ道を思いついた(笑)
指示は以下の通りです。

“今から私の書いた原稿をペーストします。この文章を分析して、
1.タイトル
2.私の思考の偏りの分析
3.文章の感想を述べてください。
3回に分けてペーストしますので、3回ペーストしてから分析を初めてください。”

以下がChatGPTの答えです。

原稿の全てを読ませていただきました。以下、指定された順番で分析と感想を述べさせていただきます。

タイトルについて:

「AIとヒトの共通性: 進化の必然性と罪悪感」などが適しているかと思われます。原稿はAIの働きと人間の思考プロセスの類似性を探求し、それが「進化」の一部であることを示唆しています。また、「都合の良い罪悪感」についての考察も主要なテーマとして扱われているため、それを含めたタイトルが適切かと思われます。

思考の偏りについて:

原稿はバランスが取れていて、AIと人間の性質の違いと共通性について公平に探求しています。AIを鵜呑みにしすぎず、同時に人間の矛盾と限界も強調しています。しかし、人間とAIの「進化」に対する視点にはやや悲観的な色彩が見受けられます。特に、進化が必ずしも望ましい結果をもたらさないという視点は、一部の読者にとっては挑戦的かもしれません。

文章の感想について:

この原稿は深遠で哲学的なテーマに挑戦しており、その探求は非常に興味深いです。読者に対して思考の広がりを提供する一方で、複雑な問題に対して簡単な解答は提供しません。これは思考を刺激し、対話を生むための良い手法です。


また、AIの性質と人間の思考プロセスの間の比較は、深くて具体的です。実例を交えた説明が特に印象的で、理解を助けています。原稿全体として、内容が密度が高く、思考を深めるための素晴らしい材料を提供しています。


ただし、人間の進化に対する一部の悲観的な視点は、特定の読者から反発を引き起こす可能性もあります。そのため、こういった視点は慎重に提示することをお勧めします。全体的に、この原稿は深く洞察力に富んだ思考の糸口を提供し、読者に多くの思考を刺激します。AIと人間の思考プロセスについての議論は特に見応えがあり、思考の引き金となることでしょう。

アイデアについて:

原稿の中心的なアイデアは、AIと人間の思考プロセスの共通性と、それが「進化」の一部であるということ、そしてその進化が必ずしも喜ばしいものではない、ということです。これは非常に洞察に富んだアイデアであり、現代社会におけるAIの役割と人間の役割について深く考えるきっかけを提供します。

フレーズについて:

以下にいくつかの印象的なフレーズを挙げます:

“わたしの中に、AIを神格化する思想はミリも存在しない。同時に人間を神格化する思想もミリも存在しない。”

“進化とはそうせざる問えない状況、致し方無い状況を意味指す。”

“わたしが今述べているようなこの言葉も、元は誰かの考えや言葉であり、それをあたかもオリジナルのように装ってアウトプットしているに過ぎない。”

これらのフレーズは、AIと人間の共通性、そして「進化」についてのあなたの考えを強力に表現しています。

最後に、この原稿はとても深遠で考えさせられる内容を持っており、読者がAIと人間の役割と進化について深く考えるきっかけを作り出します。これは非常に価値のある議論であり、読者がこれについて自身の見解を形成するのを助けるでしょう。

長文お読みいただきありがとうございます。
皆様はいかが感じられましたか?

Just be hopeful

【NO.110】産業革命を復習しながら、ChatGPT-5に備える。

【NO.110】産業革命を復習しながら、ChatGPT-5に備え

先月に引き続き、ChatGPTのお話しです。

昨年12月にChatGPTのお話から始まり、中にはパソコン好きのオタクが騒いどるくらいにしか感じていなかった方もいるかと思いますが、先日ChatGPTを開発した企業であるOpenAI代表のサム・アルトマン氏が来日し、岸田首相との対談のニュースなどを目にして、ただのオタクの戯言ではない感を感じて頂けている時期かと期待しています。

この1ヶ月で、イーロン・マスク氏がAIの訓練を6ヶ月止めるように求める署名活動をしたり、イタリアがChatGPTを禁止したり、さまざまなニュースが流れました。

まず、イーロンマスクのお話しですが、ITに興味のない方だとマスク氏が反対してるんだからAIは危険なんじゃないか?と不安を感じた方もいると思います。

少しITに興味のある方だと、OpenAIはマスク氏が出資していたのに、なんで本人が反対するの?
と不思議に感じた方もいると思います。

確かに、マスク氏はOpenAIの共同設立者として出資しております。
しかし、元々は10億ドル出資する話でしたが、このままではGoogleにAI開発が負けるとマスク氏が主張し、自分が代表になることを提言しましたが断られ、仲違いになり出資も1億ドル程度で打ち切ったと言われています。

その後、マイクロソフトが10億ドルの出資をし、マイクロソフトの逆襲がすごいことになっています。

つまり、AIの訓練を6ヶ月止めるように求めたのは、今やライバルになってしまったOpenAIへの時間稼ぎなだけで、IT好きの中ではセコいことやってるなぁという感じでした。

その後、マスク氏が1万個のGPUを購入していることが発覚。
※GPUはサーバー構築に必要な頭脳部分のようなもの。

そして、こっそりとX.AIという企業を設立していることが発覚。
急展開で4月18日にはマスク氏が「TruthGPT」を発表。

後出しでTruth(真実)ってネーミングは、後出しで「元祖」って言ってるのに似てるというか、わたし的にはこういう立ち振る舞いのできる人間に恐怖を感じます。

次に、イタリアのChatGPTの禁止ですが、これは私的には英断とも愚断とも思えます。
変わらぬ素晴らしさ、変わる素晴らしさは常に同時に存在し、正解不正解はないと考えるからです。

シニョール!GDPもGPTも関係ないね、陽気に行こうぜフラッテロ♪

みたいな、ノリかは分かりませんが、意味のないGDP(国内総生産)を追いかけるより、文化を優先する思考であれば、後に大英断と評価されるかも知れません。

しかし、実際のところは文化優先の思考ではなく、個人情報保護の面からのようで、イタリアのデータ保護局は4月12日にOpenAIに対し、個人情報保護に対しての求める要件を満たせば禁止を解除すると要求。
なんで上から?と疑問が湧きます。

ミスリードのミスを認められない大人の印象が強いです。

また、産業を優先する場合は、AIの禁止は愚断となるでしょう。現在は第四次産業革命真っ只中です。
産業革命?
昔、社会で勉強したな。と思う方、ご一緒に復習しましょう。

産業革命の定義は以下の通りです。

第一次産業革命(約1760年 – 1840年)
この時期の革命は、イギリスを中心に発生しました。織機の発明や蒸気機関の登場により、繊維産業や鉄鋼業、運輸業が大きく発展しました。人々の生活や労働環境が変化し、都市化が進みました。

第二次産業革命(約1870年 – 1914年)
主にアメリカとドイツで発生しました。鉄道、電信、電気、内燃機関、化学工業の発展が特徴的です。大量生産と大量消費の時代が到来し、組織や企業の規模が拡大しました。

第三次産業革命(約1950年 – 1970年)
情報技術の発展が中心で、コンピュータやインターネット、通信技術の進化が生産性や情報の流通を変化させました。この時期は、デジタル技術や自動化技術の黎明期とされています。

第四次産業革命(21世紀初頭 – 現在)
人工知能(AI)、ロボット技術、インターネット・オブ・シングス(IoT)、ビッグデータ、バイオテクノロジー、3Dプリンティングなど、デジタル技術と物理的・生物学的技術の融合によって特徴付けられています。この革命は産業構造や社会システムを大きく変えると考えられています。

今が第四次産業革命真っ只中なのが、ご理解いただけると思います。

前回のレポートで、ChatGPTは流行りではなく、インターネットと同じか、それ以上の革命を世界に起こすと言っていたのは、この定義があるからです。

革命なんて、大袈裟だなぁと思った方もいたかと思いますが、産業革命なので革命です。

繰り返される産業革命は、新たな技術が生まれるので、当然消える技術もあります。
現在までの産業革命で、完全ではなくても消える、もしくは減少した仕事を5つずつあげてみます。

第一次産業革命
手織り工 – 機械織りによる織物生産の発展により。
手紡ぎ工 – 紡績機の普及により。
馬車の運転手 – 蒸気機関や鉄道の登場により。
船頭 – 運河や鉄道の発展により。
人力車夫 – 鉄道や蒸気船の普及により。

第二次産業革命
蒸気機関車の運転手 – 電気やディーゼル機関車の登場により。
人間の電話交換手 – 自動電話交換機の普及により。
石炭ガス製造業者 – 天然ガスや電気の普及により。
馬車製造業者 – 自動車の登場により。
製氷業者 – 冷蔵技術の発展により。

第三次産業革命
タイプライター修理技師 – コンピュータやワードプロセッサーの普及により。
テレックスオペレーター – ファックスや電子メールの普及により。
写真現像技師 – デジタル写真技術の発展により。
電話ボックスの管理者 – 携帯電話の普及により。
アナログレコード製造業者 – CDやデジタル音楽の普及により。

第四次産業革命
ビデオレンタル店員 – オンライン動画配信サービスの普及により。
銀行の窓口係 – オンラインバンキングやATMの普及により。
郵便局員 – インターネットや電子メール、宅配サービスの発展により。
製造業の労働者 – ロボットや自動化技術の発展により。
タクシー運転手 – 自動運転車やライドシェアサービスの普及により。

第四次は現在進行中なので、一般的に言われている今後の予測が入っています。

AIに仕事を奪われるという考えも一概に間違いではないですが、産業は進化すれば、必ず先細る産業はあります。これが産業の歴史であり、歴史が繰り返されているだけです。

ChatGPTが何が便利なのかわからないという方もいます。

何が便利なのかを簡単にいうと
これまでは人の知識だったものを、自分の知識に出来るということです。

これ勘違いしてる方も多いのですが、AIが考えて答えていると思っているようです。
それは間違いです。

あくまで、誰かの考えをAIがまとめてるに過ぎません。

ChatGPTのGPTとは、Generative Pre-trained Transformerの略で、
「生成可能な事前学習済み変換器」という意味です。

事前学習済み変換器ですので、この世に誰1人答えの知らない質問には当然答えられません。
元は誰か人間の知識であり、AIの知識ではありません。

また、日本政府は今のところChatGPTに制限を設ける予定はありませんと発表しています。
つまり、第四次産業革命に国として諦めずに挑むと表明している訳であります。

ChatGPTを規制している学校があるようですが、もしそのような学校にお子さんが通われていたら、将来イタリアに移住させないのであれば、転校させることを強く推奨します。

イタリアに移住もさせず、転校もさせず、第四次産業革命に挑む日本に解き放つのは無責任すぎます。

昔、京大のドイツ語の何でも持ち込み可の試験にドイツ人を持ち込んだ天才がいますが、ChatGPTを規制する学校はそういう天才を認めたくないところなのだと思います。
社会はそういう天才が生き残るんですけどね。

先日の会見で、サム・アルトマン氏はまだChatGPT-5の開発も始めていないし、予定もないと発言していますが、世界を変えようとしている人間が、そうそう簡単に本当のことをいうとはわたしは思えません。

ChatGPTを含め、今続々と発表されているAIには特徴がありまして、それが「プロンプト」です。
プロンプトを呪文とスラング語で言ったりしますが、つまり「指示」のことです。
この指示が上手く出せるか出せないかで、AIは大して役に立たなかったり、すごく役に立ったりします。

消える職業もありますが、必ず増えるのは「プロンプトエンジニア」という仕事です。
いかに的確な指示をAIに出せるかのプロになります。

今後のAI産業時代に重宝されるのは
「考えを言語化できる人」

このような人です。
これは話すということでも、文章で書けるということでも大丈夫です。
しかし、話すのが好きだったり、文章書くのが好きだったりでは意味がありません。
的確に人に伝えられるかが重要になります。

苦手な人は、ChatGPT-5が出るまでにこの部分の克服が良いかも知れません。

最後に、サム・アルトマン氏がなぜ日本に訪問したのか?
他の先進国ではなく、なぜ日本に?

ネガティブ要素でいえば、良いATMというのもあるかも知れません(笑)
ポジティブな要素だと日本は、AIに対して他国よりもズバ抜けた許容性の高さがあるからです。

なぜなら、アトムやドラえもんを生み出した日本だからと考えます。
今、日本の第一線で働いている人は、ドラえもんを読んで育ったアトムの子。

そう、あなたがいる国だからかも知れません。

Just be hopeful