ミクロやマクロと言うと、ミクロ経済やマクロ経済のことをイメージされる人が多いと思います。
ちなみにミクロ経済とは、その場、その時に応じて個々の経済について考えることで、「瞬間的な時間」しか考慮に入れません。
これに対し、マクロ経済とは、時代や年、時間が変化することでどのように国の経済が変わるかを考えることで、「時間の経過」も考慮に入れます。
今回のお話は、このミクロとマクロとも似ている部分はありますが、単純にミクロとは詳細に考えることで、マクロは広く考える事だと思ってください。
仕事柄、いろいろなことをご相談頂く機会があります。
その時によく感じることは、問題解決の方法というより、それ以前に問題があるというか、その問題は今考えるのに適していないんじゃないかな?と思うことがあります。
常に詳細な細かい部分に挑んでいくのは、とても重要な事だとは思うのですが、元気な時はいいですが、疲れてる時はあまり良い結果を生みません。
だからといって、疲れてるからを理由にマクロ的な思考ばかりしているのも危険ではあります。
マクロ的思考は、楽といえば楽なので(笑)
大切なのは、元気か疲れているかを俯瞰的に観察し、疲れてる場合は、今ミクロ的思考をするのは適していないと判断することと、単純に疲れを取ると言うことです。
疲れを簡単に取れたら世話ねえYO
と思う人も多いと思います。
でも、疲れってそんなに難しくないと思うんですよ。
難しく考えてるか、逆にちゃんと考えたことがない人も多いのではないでしょうか?
今や現代病とも言われる疲労ですが、まず現代とは1700年代の産業革命後を示す場合が多いです。
要は科学が進化する前後で分かれます。
そして近年ではコンピューターの開発で科学は飛躍的な進化をしております。
社会は科学で進化します。
では、人間は科学で進化するでしょうか?
原始時代から見た目は変わったかも知れませんが、人体としてはさほど進化はしてないと思います。
増えた臓器とかないと思うんですよね。
あったらごめんなさい。
何が言いたいかというと、社会や会社は、進化や成長を急激にするけど、人間はそんな簡単に進化や成長しないっすよってことです。
飛躍的に成長した企業は、誰しも目にしたことがあるかと思うのですが、飛躍的に中身が成長した人間って、見たことあります?
すごい人って、幼い頃から結局すごいとこあって、すごくない人って、幼い頃から結局すごいとこなくて、結局どちらも飛躍的に進化したかというと変わってないと思うんですよね。
勘違いしないでくださいね、すごい人=偉い人とは言ってません。
ただ、おぉ、あの人すげーなーってだけです。
つまり、人は簡単に進化できないのに、進化する社会に、成長する企業に適合しようとしすぎてるから疲れるのではないでしょうか。
こういった考えもマクロ的思考です。
要はマクロって抽象的なんですよね。
具体的なミクロも大切ですが、抽象的な理解がまずズレてると疲れやすいと思います。
山口周さんの “発展とは静かなる破壊だ。”って言葉が深くて好きです。
進化は難しいけど、昨日よりの進歩は目指せるんじゃないかなって思ってます。
ライバルは常に昨日の自分。
なんつって。
Just be hopeful