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過去に生きるか、未来に生きるか。

【NO.96】過去に生きるか、未来に生きるか。

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過去に生きるのも、未来に生きるのも自由。
そう思っています。

わたしは個人的には未来に生きたいと思っている。
なので気をつけているのは「怒らないこと。」

「怒る」という感情の動きは、過去の経験からくる、ただの反応であり
この状態を、私は「過去が挟まる」という言い方が一番腑に落ちている。

怒るというシチュエーションをリアルに思い出してみて欲しい
その時、なぜ自分は「怒る」というスイッチが入ったのか?

ほとんどが、過去に同じことや、似たシチュエーションを経験したからであろう。
初めて体験するシチュエーションでは、脳科学的には「驚く」という反応が出るのが普通である。
むしろ声も出ない、頭が真っ白状態である。

過去に驚いた結果、それが怒りという感情に変化したことが潜在意識の中に残る。
よって、似たようなシチュエーションになった場合に「驚く」を飛び越して「怒る」という反応が出る。
これが、わたしは「怒る」のメカニズムだと思っている。

なので、「怒る」という反応は、過去の経験から瞬時に出された、ただの反応
この、ただの反応で、未来を作りたくないので、なるべく怒らないように気をつけている。

過去の経験が不要とは思わない。
大切な経験もたくさんあると思うし、
現在の自分は、過去の経験から生産されたものに過ぎないことは、理解している。

しかし、過去問ばかりを解き続ける人間に、わたしは魅力を感じない。
現在の自分が完璧なものと思えるなら、過去問だけで生きれるかもしれないが、
残念ながら完璧には到底遠いいので、魅力を感じないようにしているのかもしれない。

脳は、あくまで単純なロジックをしているにも関わらず、それをわざわざ、あたかも正論かと思わせる感情を振りかざして、物事を複雑にしているのは自分だと知り、気つけている。

「怒る」という反応から、良い生産物が出来ないという経験も十分にしてきた。
なので、未来に生きるために、怒るとう反応はなるべく出したくない。

それ、ダメっ!

このように、時に「怒る」ではなく、「大きな声でいう注意」が必要な場合は当然存在する。
例えば、揚げ物をした油の近くで、バタバタと作業し出す幼い子供がいたとする。

その時に、冷静に

「今、作業をしている横にあるフライパンは、先ほどまで天ぷらを行っていた油が残っており、少なくとも今現在150度の温度があると思われる。したがって、その横で作業をすることは、そのフライパンを倒す危険性があり、その結果命に関わるゲガをする恐れがあるので、そこで作業をするのは適切ではない。」

なんて、丁寧に説明してる暇はない。
なので、意図的に驚かせて、動きを止める必要がある。

そこから導き出される大きな声の判断であり、
このような「注意勧告」と「怒る」と混在するのは誤りである。
または、罵声のような下品なものとは、全く異なる。

怒ると、注意は簡単にいうと
そこに愛があるか、ないかで判断できると思うが

中には “あなたのために言ってるの” 的な、
恩着せがましく物事を伝え、実は自分の都合のよい状態に導く手法は存在する。

これは美しくない。
もし、わたしと同じように「過去に牛耳られて生きたくない」と思う人がいれば
怒るという反応が出そうな時、出てしまった時。
ふと思い出していただけるとうれしい。

そこに愛はあるかい?

Just be hopeful

Takuya Matsumoto

[1994-2002]
ITベンチャーの幹部として、8年間で数名の企業を500名以上の企業に成長させることに貢献。95年より独学でwebデザインを学ぶ。

[2002-2023]
米国法人のwebデザイン会社のCEOを務め数々の賞を受賞。

[2023〜]
AI事業開始に伴い、つくば市を拠点として株式会社RESONIXを起業。

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