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【NO.142】国産AIが必要だと思う、たった一つの理由

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多分、この話に強い興味を持つ人は多くないと思う。
それでも最近、どうしても頭から離れないテーマがある。
それが「国産AI」についてだ。

正直に言うと、私自身もまだうまく言語化できていない。
だからこれは結論を押しつける文章ではなく、頭の中を整理するための思考の記録に近い。

現在、LLMと呼ばれる生成AIの主流は、
ChatGPT、Gemini、Claudeの三つだろう。
国産のAIも存在はしているし、開発も続いている。

国産AIを推す理由には、さまざまな立場があると思う。
海外製品に負けたくない、日本の技術力を信じたい、あるいは外貨を稼ぐ手段として、安全保障上の理由として
どれも間違いではない。

ただ、私が国産AIを重要だと感じる理由は、少し違うところにある。
それは、「日本語という文化を、誰に託すのか」という問題だ。

今の主要なAIは、日本語をとても流暢に扱う。
質問をすれば、的確で、丁寧で、一見すると完全に理解しているような答えが返ってくる。
けれど、AIが学習している日本語の文献量は、全体から見ればごくわずかだと言われている。
多くの知識の土台は、英語によるものだ。

ここで、ひとつの言葉を思い浮かべてみる。
「木漏れ日」

日本人であれば、その意味だけでなく
光の揺らぎや、空気の温度、静かな時間の流れまで、
自然とイメージできる言葉だと思う。

世界を見渡しても、この言葉とまったく同じ意味を持つ単語は存在しない。
もちろん、AIに「木漏れ日とは何ですか?」と聞けば、それらしい説明は返ってくる。
辞書的には、正解だろう。

ただ私は
「それで本当にいいのだろうか?」と、ふと立ち止まってしまう。
理解している“ように見える”存在に、言葉の未来を預けてしまっていいのか。

若い頃、「和暦って意味あるの? 西暦だけでよくない?」
と思ったことがある。
合理性だけを考えれば、確かに不要に見える。
でも今は、あの感覚が少し違って見える。

文化というものは、空気のように当たり前にそこにあるからこそ
失われる瞬間まで、その価値に気づきにくい。
そして、一度失われた文化は、
元の形では戻ってこない。

もしかすると、昔の日本人が現代の日本語を見たら、すでに驚くかもしれない。
それほど言葉は、少しずつ変わり、薄まっていく。

だからこそ、これ以上劣化させないための「受け皿」として
日本語を深く理解する国産のLLMが必要なのではないか
そんなことを考えるようになった。

文化は、なかなかお金にならない。
残すのは大変だし、効率も悪い。

それでも
「木漏れ日」という音の響きは、美しい。
意味だけではなく、その響きごと、後世に残していきたいと思う。

私は最近、こうした美しいものを残すことこそが
技術が果たすべき役割の一つなのではないかと
そんなことを考えている。

Just be hopeful.

TAKUYA MATSUMOTO

[1994-2002]
ITベンチャーの幹部として、8年間で数名の企業を500名以上の企業に成長させることに貢献。95年より独学でwebデザインを学ぶ。

[2002-2023]
米国法人のwebデザイン会社のCEOを務め数々の賞を受賞。

[2023〜]
AI事業開始に伴い、つくば市を拠点として株式会社RESONIXを起業。

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